機動戦士ガンダム

 ハッキリ言って、初代ガンダムのあの興奮を正確に理解できるのは、ギリギリあたし達の世代までであると思う。
 その後の、例えばMSVなどのプラモメディアや、ゼータガンダムなどのオフィシャルな続編、またはオリジナルビデオシリーズなどで「ガンダム」に「入って」きた人たちには、失礼ながら、「初代ガンダム」が何であったのかは永遠に分からないだろう。分かってたまるものか。(^^;)


 などと書くと、「頑迷な年寄りの狭量な独り占め思考」と思われるかもしれないが、その世代にしか所有権を主張できない文化って、厳然としてあると思うのです。
 例えばアニメファン第一世代が「『鉄腕アトム』がオンエアされたときの喜びと感動」を語るとき、「私にもそれは分かりますよ」などと、少なくともあたしは主張できない。それは不遜であると自省をする。そういう意味で、「ガンダム」はあたし達のモノなのである。


 さて「ガンダム」という作品を文芸面から見るとき、それが完全な失敗作であることは、これまで何度も論じられてきたし、あたしもその通りだと思う。
 その問題点は、端的には、放映終了当時アニメジュン氏が月刊「OUT」誌上で述べたように、「『ニュータイプ』という『オチ』を最後に持ってくるのなら、何のための物語であり、ガンダムだ?」という一点に尽きる。


 相克の果てに、アムロら主人公達は、憎むべきはジオンではなく、「戦争」という状況そのものであることに気が付く。ではそんな空しい戦いを終結させるには?・・・そのためには、戦いをとことんまで続け、さらに多くの血を流し続けるしかないという、あまりにも哀しい結論に、彼らはたどり着かざるを得ない。(第21話『激闘は憎しみ深く』)
 あの「ヤマト」が「愛し合うべきだった」という無責任きわまりない結論を安直に放り出したのとは対照的に、「ガンダム」は我々若者が向き合うべき残酷な現実を、初めて「アニメ」というメディアを通して突き付けてくれたのだ!


 それなのに、どうして「ニュータイプ」?と、当時の我々は何ともやりきれない空しさにとらわれたものです。乗り越えるべき壁を提示しておいて、「でも、ちょっと向こうに穴が開いていてくぐれますよ」と言われたような気分。
 「人は皆分かり合える」でシャンシャン大会なら、アニメジュン氏ではなくとも、「それまでのドラマは何だったの?」と憤りたくなります。


 今でなら容易に納得出来るけれども、富野監督は、要するに「人間」というモノが嫌いなのであろう。だからやや逆説的になるけれども、アムロの「人はいつか時間さえ支配できる」というセリフは、「ニュータイプには不可能はない」、すなわち、「人には何も出来ない」ということなのだ。
 「変わっていけな」ければ、人には未来はない。つまり、今生きているあたし達には何も乗り越えて行けないという絶望を、富野氏は謳ったのであった。
 そんなテーマを描くなら描くで、ニュータイプへの周到なジャンプボードを、最初からドラマに組み込んでおくべきだったであろう。


 実際、当時もそう思ったし、今見ても変わらないが、いわゆる「テキサス編」以降のガンダムって全然つまらないものね。ゲルググが出てきてカッコイイという人がいるけど、あたしなんかは欠伸が出ます。(^^;)


 とは言え、そうした欠点に目をつぶることは出来ないにしても、「ガンダム」という作品そのものの卓越した魅力には決して影さすものではない。まして本作が、日本のテレビアニメ史において果たしたあまりにもエポックな役割には、何人も異議を唱えることは出来ないであろう。


 初めて純然たる「兵器」として描かれた巨大ロボット、そこに暮らす人々の息づかいが聞こえてきそうな、周到な世界構築、心憎いまでの「らしさ」のマシンガンジャブ、コンプレックスに満ち満ちた、生々しいキャラクターたち・・・。
 「ガンダム」において示された斬新な演出法の数々は、それまでのテレビアニメのスタンダードというものを、一瞬にして全て旧式化してしまったと言ってもよい。
 それぞれにトラウマに満ちた履歴を持ち、自分の言葉で語ろうとするガンダムのキャラクターたちの前では、コクピットで必殺技の名前を連呼するだけの旧来のヒーローは、まさに「石碑」程度の存在感しか主張できまい。


 だからこそあたしたちはその世界に夢中になり、ある者は同人誌を作ってパロディーに血道を上げ、ある者はプラモデル改造に寝食を忘れ、ある者は一年戦争の裏設定を夢想して悦に入った。
 「ヤマト」がその先鞭を付けた、「ファンジンをも包括した、文化としてのテレビアニメ」が、まさに「ガンダム」において完成されたのだ。そしてそれは、あたしたちの世代が初めて手に入れた、あたしたちだけのメディアだったのである。


 その頃の、何とも言えない熱気・・・行く道の先に、何か素晴らしい世界が開けているという根拠のない高揚感は、既に伝説でしかない。あたしたちの世代全体が精神的基底を持ち得なかったように、アニメ文化も何らの理念無く分解され、どこにでもある、浮薄なジャンクメディアと化してしまった。
 しかし「機動戦士ガンダム」の名は、かつての若者たちの一種幼児じみた(自分たちが、全く新しい文化を創造するのだという)夢想のモニュメントとして、少なくともあたしたちの胸の中においては、永劫輝きを放ち続けるだろう。

機動戦士ガンダム

ストーリー

演出

作画

メカニック描写

エポック度

ウルトラA

総合評価

 ★総合評価基準=A・超良い、B・良い、C・普通、D・悪い、E・死んで欲しい

ちなみに絶対的な評価ではなく、その当時のアニメ界における相対的な評価です。



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