メガゾーン23

 「オリジナルビデオアニメ」(以下OVA)という文化の黎明期に出現するべくして出現した異形の作品、それが「メガゾーン23」である。
 完成までの経緯が非常にややこしく、また出現のタイミングとも相まって、その仕上がりはプロダクションや玩具屋や作家らそれぞれの思惑が不細工に絡み合い、さながらフランケンシュタインの様相を呈している。全く持って、作品というのは時代が産むものなんだなあと教えてくれる格好の教材ですわん。



 周知の通り本作はアートミックの手になるものだが、最初から0VA作品として企画されたわけではなかった。同プロダクション初のTVシリーズとなった「機甲創世記モスピーダ」の後を受けてプレゼンされた番組案がその原型なのだ。
 時は日本アニメ文化の曲がり角となった1984年。当初予定されていたタイトルは「バニティシティ」という。
 大体2クールくらいの放映スケジュールが考えられていたらしいのだが、ストーリーや世界設定などは後の「メガゾーン」と大差なく、キャラクターや登場メカニックもほぼ同じものがこの時点で用意されていた。つまり変形バイクメカを主人公として、それを核に派手なシティバイオレンスを描こうという企画骨子は徹頭徹尾変わっていない。



 しかし様々な事情からこの企画はペンディングとなり、結局TVシリーズとしてはついに日の目を見ることはなかった。
 そんなことは業界では日常茶飯事だけれども、玩具用の機構試作まで作製した(らしい)プロダクションとしては、そのままお蔵入りにしてしまうには忍びなかったのであろう。さらに企画をブラッシュアップして売り込みを図り、ついにはOVA作品としての復活が実現する。その意気とこだわりやまことに良しである!



 ところでここで問題となるのがビデオアニメというメディアである。
 お若い方にとってはOVAなんて空気みたいに当たり前の存在かもしれないが、84年当時はまだメディアとして生まれたばかり。つまりそんなものがそも商売として成り立つのかすら全く分からない状況であった。
 現在でこそ、そこそこに売れ線のアニメ作品であれば、レンタルビデオ店用の出荷分だけでも一通り元が取れるという市場がちゃんと出来上がっている。しかし当時はレンタルビデオ店自体が数えるほどしかなく、と言って貧乏なアニメファンが2万円近くもするOVAをどんどん買ってくれるなんて予測もし辛かったから、ビジネスとしては結構な冒険であったろうと思われる。
 「アニメック」を始めとするアニメ雑誌もメディアとしてのOVAについて特集を組み、これが一大市場として花開くのか、それとも時代の徒花としてやがて消えゆく運命なのかなどと、今にして思えばそんなことその時点で分かるわけねーだろという感じの虚しい展望を披瀝して見せていた。



 またこの新しいメディアに何を求めるべきなのかという最も本質的な問題に対しても、業界のスタンスはブレてばかりでなかなか定まらなかった。
 当時盛んに言われていたこととして、「OVAならば作家が本当に創りたいモノ、消費者が本当に見たいモノが作れる!」という実に脳天気な理屈があった。
 なるほど0VAは消費者が直接対価を払って見るものなのだから、横暴なスポンサーによってストーリーがねじ曲げられたり、けばけばしい変形メカだの美少女キャラだのという虚飾を盛り込まされたり、あるいは突然打ち切りの憂き目にあったりという憂いは無くなるように思える。
 事実最初期のOVAである「ダロス」だとか「バース」などのオリジナル作品は、そうした理想主義を無邪気に体現しようとした実験作であり、地味だが骨太のストーリーであるとか、アニメとしてのピュアな動きだとかのみをウリに一直線のセールスを試みていた。しかし如何せん売り上げはふるわず、業界は戦略の再考を迫られることになる。
 人気作品の番外編などには一定の需要があったけれど(EX・クリィミーマミ「ロンググッドバイ」などが好例)、それがこのメディアの行くべき本道なのかといえばまことに心許なく、これら右顧左眄ぶりは、「ではどんな商品なら買うのか」というビジョンを、消費者側としても当時明確には示せなかったことを表している。
 皮肉なことである。制作側もアニメファンもスポンサーの横暴を呪いながら、では具体的に何を作りたいか、見たいかという展望を獏としか用意していなかった我が身の怠慢に、OVAというメディアを手に入れてから初めて気付かされたのだ。



 そんな折も折りにOVA「メガゾーン23」は出現した。
 紆余曲折の果て、ようやく企画実現にまでこぎ着けた制作者たちは何を思ったか?
 当然に「売らなければならない!」という絶対的な命題であろう。しかし前述のように、売るためには何をすべきか?という答えは未だ用意されていなかったのだ。



 結果、スタッフの取った戦略は、「売れそうな要素は何でも良いからブチ込もう!」であった!
 実に涙ぐましい、またある意味現実的な判断である。
 変形バイクメカだのアイドル歌手のヒロインだのという企画当初からの売れ線要素はもちろん、スプラッタめいた描写や、当時ハシリであったアダルトアニメ(!)のテイストまでをもブチ込み、お得でっせ!美味しおまっせ!とプライドそっちのけで売り込みにかかったプロダクションを、誰が浅薄だと笑えよう。かくてあの「マクロス」から下品なセンスを選り抜いて、よりソリッドに煎じ詰めたような怪作が誕生したのだった。
 幸か不幸かこの恥知らずな戦略はバッチリ的中し、「メガゾーン23」は初期OVAのセールスとしては画期的な成功を収める。制作者側は、このメディアをどう作るべきなのか、その道筋の一つをついに見出したのだ。しかし。
 何ということか。
 「OVAならば虚飾を排したピュアな作品作りが出来る」などとはとんでもない。OVAだからこそむしろ、下卑た消費者の下卑た興味に盛大目を凝らし、それに応える虚飾を目一杯に散りばめなければならない現実が、ここでようやく明らかとなったのだ。そしてそれは、現在に至るまで(ますます先鋭化しながら)OVAの基本戦略であり続けている。「メガゾーン」はその現実を身をもって知らしめたパイオニアとして、永くOVA史に記憶されるべき作品と言えるだろう。



 さて、メディアとしてのOVA論(んなイイもんか)にずいぶん行を割いてしまったが、「メガゾーン23」という作品自体について少し書いておくと、あたしはこの一作目が一番好きである。三部作の中ではもっともまとまりよく、また分かりやすく構成されているからというのがその理由だが、ではこれが「面白い」作品なのかと問われたら、「おじゃる丸」の一番つまらないエピソードをさらに千倍つまらなくしたって本作よりはマシと答えるだろう。ハッキリ言ってやくたいもないジャンクフィルムである。



 ストーリーはハインラインの「宇宙の孤児」の完全なパクリで、そのこと自体は全然かまわないが、せっかくパクったアイデアが効果的に語られているかというとこれが全くのダメダメで、あまりのアホらしさに見てると鼻から脳が出そうになる。
 オマケに登場人物は全員白痴で色キチガイ。主人公省吾に至っては基本的人権を剥奪したくなるほどの鳥頭ぶりである。
 せっかく出てくる変形メカも格好良く活躍するとは言い難く(一番印象的なシーンがサーマルセンサーによるラブホテルの出歯亀じゃあね・・・)、毎度アートミックのやることにはセンスもワンダーもオマケに知性もあったもんじゃありません。



 そんな馬鹿馬鹿しい作品だからスタッフの取り組みもてんでいい加減かというとそうでもなく、めいめいはそれなりに楽しんで作業をしている風がうかがえてむしろ不気味。
 つまり例えば柿沼氏や板野氏はメカを、平野氏はエロをというように、それぞれの得意分野でけなげにリビドーを込めて仕事をしているように見受けられ、また脚本の星山氏は氏でいつもの陳腐な青春節をマイペースに謳っており、それら要素が互いに全く馴染まずに束ねられて突っ立ってる様は、冒頭書いたごとくまさにフランケンシュタインの体(てい)。不細工な作品もあればあったものである。


 
 そうした仕上がりは制作者の意図と無論無縁ではないが、前掲の通り時代の要請に従った結果という側面も大きく、だから未見の方はそういう「歴史の香り」が強く嗅ぎ取れる作品として、エンタテイメントとしての評価とは別に、一度目を通しておいても損はないかもしれない。(「損だよ」←心の声)



 追記1・だけどメガゾーンは、そのシリーズを通して音楽はなかなか良いと思います。特にこの一作目のエンディング(「淋しくて眠れない」)は大好きです。



 追記2・タイトルの「23」とは言うまでもなく東京23区にかけてあるワケだが、敵方の「デザルグ」は実は「大阪」だというアイデアも当初あったそうだ。ホントにやれば面白かったのに。食い倒れプローブとかが攻めてくるの。こっちも23区じゃ心細いので、合体して「メガゾーン一都六県」へパワーアップだ!

メガゾーン23

ストーリー

演出

作画

メカニック描写

エポック度

総合評価

 ★総合評価基準=A・超良い、B・良い、C・普通、D・悪い、E・死んで欲しい

ちなみに絶対的な評価ではなく、その当時のアニメ界における相対的な評価です。



→戻る