超時空要塞マクロス

 皆さん少々「超時空要塞マクロス」って作品のことを甘く見ていやしないだろうか、ってあたしなんかは思うのである。
 ハッキリ言ってこの作品、「アトム」、「ヤマト」、「ガンダム」に次ぐ、日本アニメ史上の大いなるエポックであるのだが、どうもそのことが正しく認識されていないのですね。
 以下、マクロスがアニメ文化に何をもたらしたのかを述べてみます。




 マクロスの放映が開始された当初のあたしの印象はと言えば、
 「スタジオぬえが、またしょうもないことを始めたな〜」
 という程度のモノであった。
 後にこれはとんでもない見当違いだったことが明らかになるのだが、「ぬえ」と言えば、他者の作品はボロカスにこき下ろすクセに、自前ではゴミ以下の作品しか作れないという、どこぞのマンガ屋のような反面教師のプロダクションであったから、あたしの不見識もむべなるかなという感じであった。




 ところが当時のアニメメディアの中には、マクロスが従来のアニメ作品のカテゴリには当てはまらない問題作だということを、正しく本質として見抜いているものもあったのである。



 「カタログアニメ」・・・・それが、今は亡きアニメック誌が、マクロスに与えた称号であり、評価であった。
 その意味するところは文字通りで、つまり視聴者は、マクロスという作品のお気に入りの部分を、それぞれに楽しめばよいということである。
 SFっぽい設定(イヤミです(^^))を楽しみたい人、美少女キャラを楽しみたい人、カッコイイ変形メカニックを楽しみたい人、他愛もないラブコメを楽しみたい人、迫力ある戦闘シーンを楽しみたい人等々が、めいめいお好みの要素を楽しめばよく、実際マクロスという作品は、舌足らずながらもそれらの要素をデパート的、カタログ的に取りそろえた造りになっている。



 「アニメック」という雑誌は、インテリぶっているわりにどうも真の知性が感じ取れない本であったが、ことマクロスにおいては、作品の客観評価がまだ難しかった当時において、これに「カタログ作品」というカテゴリをあてがったことは、まさに偉大なる慧眼だったと言って良い。
 描きたいモノしか描きたくないという制作者と、見たいモノしか見たくないという視聴者の幼児じみた欲求が、市場の上でまさに運命的な一致を見たことを、アニメック誌は鋭く看破したワケである。



 さて、マクロスの成功を目の当たりにした他のクリエイター達は、目から装甲板が落ちるような思いであったに相違ない。そして自分たちのこれまでの努力が、まさにムダでしかなかったことを思い知らされたのだ。
 凝ったストーリー、緻密な世界観、愛だの正義だのという七面倒くさいテーマ・・・そんなものは、無用の長物でしかなかった。視聴者たるアニメオタクは、変形ロボットが暴れ回る戦場で、おつむの弱いアイドルがパンチラをしつつ下手くそな歌謡曲を歌っていれば、それで十分だったのだ!



 かくしてマクロス以降、日本のアニメは、アニメを他のメディアのように社会的に位置付けようとする努力を一切放棄してしまった。
 例えばマンガというメディアが、文学同様に、当たり前のメディアとして社会に浸透していったのとは対照的に、アニメはアニメファンのみに理解され、もてはやされれば良いという、幼児じみた自閉へと逃げ込んでしまったのだ。(そうしたムーブメントが最も先鋭的に、かつグロテスクに結実した例が、「メガゾーン23」だとか「機動戦艦ナデシコ」などというジャンクムービーである)



 「アニメはもはや子どもたちのメディアではない・・・」
 「ガンダム」の劇場公開当時、私たちの心を熱く満たしていたそういう自負が、今日日いかにナンセンスに思い出されることか。
 学生運動という革命幻想に敗れた先達達の胸にも、同じ空しさが去来したのだろうか。



 「マクロス」という作品自体は、色々としょうもない欠点はあるけれども、そこそこに楽しめる佳作であると、今もあたしは思っている。しかし後に続くアニメ作品を、皆もろともにオタッキーの泥沼へと導いた、ハメルンの笛吹的作品であったこともまた明らかだ。


 
 「超時空要塞マクロス」こそは、あたし達の世代の文化が、自らの胸に刻んだ墓碑銘であったと言えよう。

超時空要塞マクロス

ストーリー

演出

作画

メカニック描写

エポック度

ウルトラA

総合評価

 ★総合評価基準=A・超良い、B・良い、C・普通、D・悪い、E・死んで欲しい

ちなみに絶対的な評価ではなく、その当時のアニメ界における相対的な評価です。



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