機動戦士ガンダム0080

ポケットの中の戦争

 「ガンダム」を冠するフィルム作品が初めて富野氏以外によってプロデュースされた、画期的0VA企画である。あたしたちのような初代ガンダム原理主義者(^^)こそ煙たがるが、本作によってこそ、ガンダムという市場が「何でもアリ」のエクスキューズを初めて与えられたのだ。
 つまりニュータイプという括りが無くても良く、ガンダムが主人公メカでなくても良く、主人公は戦士でなくても良く、起こるイベントや出てくるメカニックはそれまでのガンダム戦史と整合性が無くても良い、悪く言えば野放図な作り方がオッケーになったのである。



 その後のガンダム市場がなし崩しに無法地帯と化してしまったことを思えば罪な作品と言えるかもしれないが、当時のファンジンはそこそこ好意的に本作を受け入れていたように記憶する。
 何となれば、当時のファンたちは「Z」、「ZZ」と続いた愚にも付かない富野節ジャンクアニメにウンザリしていたからであり、「面白いガンダムが見られるならば、別に富野印でなくてもかまわない。いや、ガンダムという魅力的な素材を、いい加減富野氏の独占から解き放ってくれ!」という苛立ちにも似た思いを抱えていたからであろう。
 本作が一年戦争のアナザーストーリーという体裁をとったのも、「一年戦争という古いモチーフでもまだまだ面白いものは作れる!」という若いスタッフたちの熱意がそうさせたのではないかと想像する。つまり受け手だけではなく作り手側にも、いわゆるグリプス紛争以降のスチャラカな世界観に対するフラストレーションが鬱積していたのだ。



 さて当時のそんな状況からいわば運命的に生まれてきた本作ではあるが、残念ながら「面白いガンダム」に飢えていたファンたちの渇きを首尾良く癒したとはとても言えなかった。
 当時視聴したあたしも、正直「何とも冴えない作品」といった印象を持ったことを覚えている。引き合いに出しては失礼だが、ちょうど「太陽の牙ダグラム」と似たイライラ感のつきまとう凡作であった。



 何よりまず、ハッと刮目させる斬新なシーンが一つもない。キャラもロボットも綺麗に作画されているが、ただそれだけである。いや、アニメの命たる「動き」に関しては、初代ガンダムのそれにさえ遠く及ばない。
 グリグリ機動して暴れ回ってこそのモビルスーツなのに、ザクもアレックスも実にモッサリとした動き。しかもせっかくのコロニー内戦闘なのに、それによって市街が壊滅していく様をほとんど描いていない。
 外れダマがビルを吹っ飛ばしたり、倒れたMSがエレカをペシャンコにしたりという、ロボットアクションの痛快さが何も織り込まれていないのだ。



 文芸的にも、いかにも頭でっかちの年寄り臭い若造が書きましたという感じで新味もへったくれもナシ。
 キャラはどいつもこいつも恐るべきステレオタイプで、全員がセリフを棒読みする石碑のような空しいイメージ。ひ若いヘッポコ軍人が悟りきったようなヒューマニズムをセンチに語り始めたりするのはいっそ気の毒ですらある。
 監督氏がどうやらガンダム世界をよく勉強していないらしいのも困りもので、サイド6の天気の描写など、苦笑してしまうシーンも数多い。
 「もっともらしいウソ」をさりげなくつくことがガンダム世界の醍醐味なのに、あれではぶち壊しである。超人気作品の番外編なんだから、事前に旧作を百万編見直すなど、もうちよっと緊張感を持って取り組んでもらいたいものだ。(ちなみにサイドの生態系にヘビだのカエルだのっているのだろうか・・・)



 かように欠点だらけの本作を、さてではあたしがまるで評価していないかというと、困ったことに大好きなんだよなあこれ。(^^;)
 好きな理由は多々あれ、ここで一点だけ述べておくとすると、それは本作を通してスタッフたちが何かを本気で伝えたがっている真摯な姿勢がうかがえるからだ。
 その何かとは、「戦争」というものの正体と、それと我々がどう向き合っていくべきなのかというバカ真面目な問いかけである。つまり初代ガンダムが提示しておきながらあっさり放り出してしまった泥臭いテーマに、本作は拙いながらも真っ正面から取り組んだのである。



 参集した若手スタッフらの心中を、あたしは想像することがある。彼らはとにかく声を上げたかったのではないか。
 あたしを含め戦後何不自由ない時代に生まれ育った者たちは、それ故に「戦争を知らない子どもたち」、「シラケ世代」などと揶揄をされながら、歪んだ自我を組み立てざるを得なかった。
 大人たちは「戦争を知れ」と喧しく言い立てながら、しかしあたしたちが戦争について語ろうとすると、「何も分かっていないくせに」と突き放した。
 「戦争を知らない」ことは幸いであり良いことであるはずなのに、あたしたちの世代にとってそれは「原罪」であるとしか認識できなかったのだ。



 そう、あたしたちは皮膚感覚としての戦争を知らない。しかしそれについて思いを巡らせる自由まで封殺されてしまう謂われなどないはずだ。
 だから若いクリエーターたちによる「0080」から、あたしは
 「アニメロボットが光線剣で打ち込み合うような矮小な戦場しか想像できない、いやむしろそちらにこそ戦場のリアリティを感じてしまうような僕たち世代だけど、でもそれでも『戦争』について何かを言ってみたいんだ。笑わば笑えよ!」
 という心の叫びを聞く。(幻聴か?)


 
 本作の戦争描写とキャラの心理パフォーマンスは、だからステレオタイプで陳腐ではあるけれど、スタッフたちのその一念故、ピュアな輝きを放っていて胸を打つ。
 主人公アル少年が憧れた、勇ましさに胸の躍る「戦争」。そしてその彼から愛する友人を永遠に奪い去っていった憎むべき「戦争」。どちらが本当の戦争というのではない。どちらも本当の戦争なのだ。そしてまさにその本質故に、人はこの哀しい病から逃れられない。
 ラストシーン、堰を切ったようにしゃくり上げ始めるアル少年に、あたしは涙が止まらなかった。



 本作は確かにアニメとしてはピリッとしない凡庸なイメージだが、あたしたちママゴト世代にも寸毫の意地があること、ウェットな人間性も熱意も本来的にその胸に秘めていること、まさにその証左を示す佳編として心に留めておきたい。 

ポケットの中の戦争

ストーリー

演出

作画

メカニック描写

エポック度

総合評価

 ★総合評価基準=A・超良い、B・良い、C・普通、D・悪い、E・死んで欲しい

ちなみに絶対的な評価ではなく、その当時のアニメ界における相対的な評価です。



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