銀河漂流バイファム

 毎度鬼籍に入った人を鞭打つようで気が引けるが、故・神田武幸氏こそは、あたしがリアルロボットアニメのプロデューサーとして最も忌み嫌っていた作家の1人である。
 そもこの人が関わったリアルロボット作品で「面白かった」ものなどとんと思いつかない。「ダグラム」しかり、「ドラグナー」しかり、「08小隊」しかりである。全部駄作なんである。
 一番腹が立つのは「メロウリンク」で、上手く作ればあれほど面白くなりそうだった素材もないと思うのだが、神田氏の手にかかったが故に泣けてきちゃう凡作と化してしまった。全く持ってファッキューサノバビッチな気分にさせられてしまうのであり、いなくなってくれないかなあと思っていましたら、ホントに亡くなられてしまって少々後味の悪いあたしです。ゴメンナサイご冥福をお祈りいたします。



 さて「バイファム」は自前で「新たなガ○ダム」を作ろうとするバンダイの一連の挑戦の一つとして位置づけられるべき作品であるが、あんな極悪会社がスポンサーでありながら、また神田氏という有能とはとても言えない(失礼)プロデューサーに舵を取られながら、しかし氏唯一の「面白い」リアルロボット作品として成功を収めたのはまさに奇跡であった。(重ねて失礼)
 全体の尺が少々冗長であり、後半は緊張感もクソもないダラダラした展開になっちゃったことを差っ引いても、一見の価値は十分にある力作である。
 それは恐らく、氏の元にたまさか熱意と才能あふれるスタッフが参集したこと(若手だけ見ても、西島克彦、永野護、只野和子等、後のビッグネームがゾロゾロである)や、そして神田氏自身も本作に並々ならぬ情熱を持って挑んだ(らしい)ことなど、様々幸運な要因が重なった結果なのだろう。



 リアルロボットアニメとして本作を見ると、「ガ○ダム」や「マクロス」に比べればエポックとなる要素は弱いけれど、それでも以降のスタンダードとなる斬新な演出法をいくつか提示している。
 「バイファム」の眼目は子どもたちのピュアな心情とその交流であり、主役メカたるラウンドバーニアンの活躍はどちらかと言えば「従」の要素であろうが、しかし本サイトの性格上、本稿ではそのメカアクションの特徴に論を絞って述べてみよう。



 バイファムロボットアクションの魅力は、非常に大まかに言うと以下の2つであると思う。

 (1)絵としてのロボット兵器の「らしさ」
 (2)ミッション(作戦戦闘行動)の「らしさ」とドラマとの融合


 
 (1)は文字通り、ロボット兵器をビジュアルとしてそれらしく見せようとする配慮が随所になされていることである。
 ラウンドバーニアン(以下R・V)は当時流行りであった完全な量産兵器としての主役メカ(ほぼ同時期に「マクロス」や「ボトムズ」がオンエアされていた)だが、大河原氏のメカデザイン自体はお世辞にも格好良いとは言えないベタなモノで、しかも「これがR・Vだ!」という絵的なウリもキャラ性も皆無なのっぺら坊メカ。
 量産兵器だからあえて無個性な外観にしたのだという見方もあろうが、それにしてもダッサイなあと、放映前に設定画を見たあたしたちはゲンナリしたものだ。



 ところが番組が始まってビックリ仰天!R・Vの戦闘シーンはムチャクチャにカッコイイのだ!



 まず地上においては、R・Vがとにかく巨大に見えるように描かれているのが良い。極端なアオリのパースを多用し、手前には極力人物の動きを入れて、怪獣映画的なスケール感を演出しているのだ。(第1話のディルファム出撃シーン、第4話でディルファムが手前に倒れ込むシーンなど、単純なワンカットだけで痺れるようなカタルシスを伴う!)
 ロングとアップのカットを巧みに描き分けているのも同じ目的のためで、つまりアップ時のディティール描写を徹底させて、R・Vの大スケールを表現している。(第1話のディルファムコクピット描写、第5話で転倒したディルファムにバーツが駆け寄り、爪先のインターホンを使用するシーンなどが好例だ)
 ロボット兵器の「巨人」としての魅力を、ここまで絵的に昇華させた例は希有である。



 宇宙空間では、偏執的なまでの「慣性」の描写が素晴らしい「らしさ」を演出している。
 R・Vの機動には常に慣性が意識されていて、それを制御するために、方向転換時には必ずロケットモーターを噴かす。「ガ○ダム」や「マクロス」でも同様の配慮は為されているが、ここまで徹底しているのは「バイファム」だけだ。
 つまり空間における機体制御の難しさを当たり前に演出することで、これはリアリティに気を配っている世界なんですよと画面自身に語らせているわけである。
 だからバイファムは最大戦速時には機体方向を変えるだけでアップアップ(♯19)だし、狭い宇宙船内での戦闘では機体の慣性を処理しきれずに壁面にガンゴンぶち当たる(♯17)。それらの描写が実に「らしい」。真にリアルなのかどうかが問題なのではなく、絵として「らしい」かどうかがリアルロボットアニメには大切なのだ。



 また全編を通して、イヤミにならない程度のミリタリーテイストが付けられているのも楽しい。
 機体の部隊ナンバーや迷彩塗装、トレーナーカラー(♯28)など、単なる絵的なアプローチだけでなく、いかにも軍事兵器らしくフォーメーションバトルがそれっぽく描かれているのがカッコイイ。
 ミッションリーダー機(バイファム)の周囲にネオファムが十文字に展開し、次いでスパイラル状に上昇していく第1話冒頭の編隊戦闘なんか、「ガ○ダム」第1話の興奮を思い起こさせるような屈指の名シーンである。イカスぜバイファム!



 次に(2)の「ミッション(作戦戦闘行動)の「らしさ」とドラマとの融合」というのは、描かれるR・V作戦の「らしさ」を言う。
 R・Vは基本的に複数機がコンバットフォーメーションを組んで運用される兵器であり、母艦ないしミッションリーダーによって作戦が管制されている。各R・V自体の制御もコンピューターに多くを負っているが、母艦には超高性能のスーパーコンピューターが装備されていて、それが部隊を緻密にデジタルリンケージしているのだ。
 いかにも現代の艦隊防空ミッションっぽい「らしさ」であるが、「バイファム」の場合、それは単なる「らしさ」にとどまらない。


 
 同じような描写は様々な作品で見られるが、それらはあくまで雰囲気作りの域でしかない。「電子管制された作戦」が、そのままドラマフォーマットを形作っているところが「バイファム」の非凡なところなのである。
 具体的に言うと、「バイファム」におけるR・V作戦は事前に何段階かにフェーズ化され、パイロットに徹底される。つまり「何時何分までに何処どこまで行き、何時何分までに敵の部隊をやっつけ、何時何分までに○○を奪取して帰艦する」となどという手順が示され、主人公たちはそれに従って行動したりする。
 要するに各フェーズは主人公たちが乗り越えなければならない具体的な試練であって、それを上手くこなさなければ、例えば最適軌道に乗れないとか、人員消耗率が高くて撤退しなければならないとかいう困った事態になる。
 よって視聴者も、「フェーズ2スタート!」なんていうコンピューターの無機的なアナウンスにいちいちハラハラしたりホッとしたりするワケだ。作戦描写がそのままドラマの個性化に繋がっているのである。スゴイよバイファム!



 後半ククト星に舞台が移ってからはそうした作品の個性が希薄になり、普通のつまらないロボットアニメになっちゃったのは残念だったが、不器用なりに少しでも新しい味のエンタテイメントを作ろうとしたスタッフの真摯な取り組みは高く評価されるべきであろう。
 そう、「バイファム」にはそれに携わる人々の熱い思いが感じられる。作品を輝かせ得るのは、いつだって作家たちのそうした熱意だけなのだ。



 追記1・蛇足になるかもだが、本作の真の眼目たる子どもたちのドラマについても少しは触れておこう。いやはや彼らの健気な活躍ぶりには、一体何度オイオイ泣かされたことか!
 ケイトの死を契機にようやく皆の心が通い始める哀しさ。ペンチの心根に瀕死の身で応えてやろうとする異星人の優しさ。ルチーナの健気さに胸を衝かれ、激しい自責の念に駆られるクレア。最終回、戦争さえ終われば、僕たち仲間にとって距離なんか関係ないと説くロディ。くそっ、思い出しただけで泣けてくるぜ!なんと、なんと素晴らしくも愛おしい子どもたちであろう!
 監督の神田氏には、戦後引き揚げ船に乗って嵐の日本海を越えた経験があるそうで、その原体験が氏をして「戦争は前線で戦う者だけでなく、身を守る術のない民間人も否応なく巻き込んでしまう。それは許せない!」というメッセージを、いつにない強い調子で本作に込めさせたのだろう。
 さらに本作の価値は、子どもたちが「戦争に巻き込まれた」という試練にうつむくことなく、「同じ巻き込まれた者同士であるならば、敵国人とだって当然に手を取り合えるはずだ」という、一種脳天気なスタンスにたどり着くたくましさを真っ直ぐに描いていることだ。「13人」という際立って多い主役キャラの数は、その和が無限に拡がりうるという理想主義を表す記号なのである。
 大人の分別はあたしをして戦争というものを常に相対化して語らせるし、それが間違いだとも思わない。しかし子供の皮膚感覚で「誰も悪くない!全部この戦争が悪いんだ!」と叫ばせる「バイファム」の野暮ったい迫力もまた尊く思う。
 揺るぎがたい絆を育てた13人には、どうかあたしの小賢しい理屈を「大人の古いおとぎ話」だと嗤ってほしい。繰り返しいつまでも。



 追記2・泣いたと言えば、放棄されたジェィナス号の艦橋でいつまでも事務的に管制を続けているボギー(メインコンピューター)の描写には涙が止まらなかった。(♯43)
 ボギーがもっと擬人的な演出をされていたら、あのシーンの哀切はないだろう。無機的な機械音声で淡々とグレード(「バイファム」においては危険度数のこと)報告をするボギーだからこそ、あたしたちはその報われない魂に胸を打たれるのだ。
 「離れていきます・・・。どんどん離れていきます・・・。離れていきます・・・」
 って切なすぎ。
 毎度我ながらセンチでイヤになるが、ボギーにはアニメ史上最も哀しく、愛すべきコンピューターの称号を贈ろう。

銀河漂流バイファム

ストーリー

演出

作画

メカニック描写

エポック度

総合評価

 ★総合評価基準=A・超良い、B・良い、C・普通、D・悪い、E・死んで欲しい

ちなみに絶対的な評価ではなく、その当時のアニメ界における相対的な評価です。



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