機動戦士ガンダム ZZ
(承前)さて前項において、あたしは「機動戦士Zガンダム」という作品で富野由悠季監督が何を描こうと試み、そして何故それが潰えたのかを書いた。 アニメ作品としてのZガンダムが多くのファンからそっぽを向かれたことは富野氏も認めており、 「ボクが作りたいものを好きなように作ったから、自分では満足している。しかし娯楽作品としては失敗だった」 というようなコメントを当時出している。 失笑モノなのは、氏がその失敗の原因を、 「Zガンダムは『その後のガンダム』という事にこだわったため、(登場人物の年齢も上がり)変に大人の話になってしまった。だから視聴者には今ひとつ受け入れられなかった」 と総括していることだ。 要は「大人向けの内容にしたから、オマイらガキには難しかったよね」と言っているわけだが、これが見当外れであることは明らかだろう。 当時最も硬質な大人向けの文芸を備えていた「ボトムズ」は、良作としてキチンとアニメファンに評価されていたのだから。 当たり前の話だが、視聴者は単に面白い作品を歓迎し、つまらない作品にはダメを出しただけのことであった。 一方でZガンダムは、スポンサー側のビジネスとしてはペイをしたようで、富野氏には「番組の延長は可能だろうか?」という打診がなされることとなる。 その「番組延長」が後に「ガンダムZZ」という新タイトルとして具体化するわけだが、その新作について氏は当時、 「ZZはいかにも巨大ロボットものという作り方をしたい。明るいガンダム、愉快なガンダム、みんなのガンダムという作品にしたい」 「『ダイターン3』ほどではないにせよ、『ザブングル』程度には(ユーモラスなものに)したい」 「ZZガンダムは合体すれば無敵になる強いロボット」 等々、抱負や具体的な演出方針を述べ、その制作作業がとても楽しいと語った。 氏のそうした言説は一見、「Zガンダムという作品は暗い、分かりにくいと批判されたので、今度は明るくシンプルなモノを作りますよ。主役ロボもガンガン活躍しますよ」という殊勝な表明にも思える。 しかし常々低俗なコンテンツだと見下していたロボットプロレスを「楽しく作っている」というのが欺瞞やアイロニーでなくて何であろう。 ひっきょう氏は「テメェらアニヲタのご希望に添った作品を、じゃあ作ってみせてやるよ」と、ふて腐れていたに過ぎなかったのである。 とまれ、オンエアが開始された新作ガンダム「ZZ」は、少なくともその初期においては、氏の予告した通りの体裁を整えた造りとなっていた。 作品のカラーは「ザブングル」を強く想起させるコメディ基調で、新キャラであるジュドーやマシュマーらはもちろん、これまで堅物代表だったブライトやハマーンも緊張感皆無の脳天気な芝居を見せる。 あの凶悪なヤザンまでもが、セルフパロのつもりなのかティンプっぽいコスプレをさせられ、のべつにコケたりドジったりという念の入り用だ。 主役メカであるZZガンダムはなるほどクソ強く、合体さえすればネオジオンの最新鋭モビルスーツも一撃で粉砕する。 しかしそうした「予告通りの造り」が、明るく楽しい雰囲気を醸成し、またロボットアニメとしての痛快さをもたらしかと言えば、生憎全くそうではなかった。 何故そうなったかと言えば、そう演出することで視聴者に楽しんでもらおうという誠意を、富野氏がそもそも毫も持ち合わせていなかったからである。 キャラたちがいかに快活に、楽しげに振る舞おうが、それが作劇としての面白さに結びつかないのであれば、アホがただハイテンションで騒いでいるだけということになってしまう。 同じ伝で、主役メカがいかにパワフルであっても、それがカタルシスを演出できないならば、単なるバカの力自慢だ。 では富野氏は視聴者の意見に配慮しますと言いつつ、真には何をしたかったのかと言えば、それに自覚的であったかはともかく、明らかに、ザブングル以降のアンチロボアニ指向を理解も評価もしなかったアニメファンへの当て付け、嘲弄であろう。 前述の通り、氏は「ZZ」の体裁を一応予告通りに整え、それによって以下のように主張したかったのである。 「どうだい、お前たちが『こんなのを作れ』と言っている通りの作品を作ってやったぜ。平易なストーリー、超強いガンダム、明るく健康的な主人公、美形の敵役、何でも揃ってるだろ? 可愛いロリが少ないという声にも配慮して、あざとい妹キャラも色々出したった。オマイらがペロペロしたがってる岡本麻弥が拉致されるぞ。本多知恵子も脱いじゃうぞ。スゲェだろ?嬉しいだろ? オマイらが見たがっていたのはこういうクソアニメなんだよ!自業自得ザマァ!バーカバーカバーカ!!!!!」 と(´ω`) ほとんど幼児の逆ギレでしかない富野氏のその嫌がらせに、ではアニメファンはどう応えただろうか。 端的に言えば、ほとんど何も反応しなかった。 と言うよりも、もうはや富野由悠季というアレなプロデューサーを全く相手にもしなかった。 当時のアニメ誌の特集記事のボリュームを見てみると良い。 「Z」の頃はまだ巻頭カラー特集を組まれることも多かった富野印のガンダム記事は減少の一途。 その一方で増えていた記事は、ロボットもので言えば「ボトムズ」や「レイズナー」等の高橋アニメ、「マクロス」や「ダンクーガ」等の新興作品群であった。 また「うる星」、「タッチ」、「クリマミ」等々、いわゆるキャラ萌え、ギャル萌えをメインのウリとした作品が、マンガ原作、オリジナル作を問わず隆盛を極めつつあったことがお分かりだろう。 「カタログアニメ」と呼ばれたマクロスの登場が強烈に象徴していたように、視聴者のニーズは急速に多様化し、ヤマトだガンダムだという一強のキラータイトルが人気を牽引する時代は終わろうとしていた。 アニメファンは既に、富野アニメがつまらないならつまらないで、他にいくらでも見るべきモノがあったのだ。 傷付きやすい質(たち)らしい富野氏にとって、視聴者からもアニメマスゴミからも黙殺されたことがどれだけ屈辱的であったかは想像にあまりある。 これほどまでに藻掻き苦しんでいる自分を、人はもう難じたり嗤ったりさえしてくれないのか・・・・・ 大きな無力感に苛まれたであろう氏は、どうせならばもう、本当に言いたいことをヤケクソで喚いてしまった方が得だとでも思ったのかしれない。 ZZ第24話「南海に咲く兄妹愛」で、金のためにネオジオン軍の雇われ兵員となった漁師の少年タマンは、しかし体よく利用されていただけの我が身に気が付いて咆哮する。 「この島にロボットはいらないんだ!ロボットなんて!!」 このエピソードを見た我々ヲタたちは当時、「富野さん、とうとう自分で作ったモビルスーツという言葉さえ忘れちまったらしいぞ」と失笑したものだが、今になって考えれば、これは明らかに確信犯的なセリフであろう。 氏はついに、自らの満たされない内奥を生のままで表出してしまったのである。 食うために未だロボットアニメなんか作らされているが、プロダクションもスポンサーも、俺の名前で安直に儲けようとしているだけじゃないか。いい加減にもう解放してくれ!オレのようなベテランディレクターには、もっと相応しいジャンルや作品があるはずだろう!と。 ではそれはどんなジャンルや作品なのかと言えば、ザブングルの項でも述べたとおり、名作アニメに代表されるシリアスな文芸路線であろう。 それによって、たとえば宮さんのように、素晴らしい芸術家だ文化人だと社会的に評価されれば富野氏は得心がいくのかもしれぬ。ザ・厨!とでも言うべき、付ける薬の無いスノビズムである。 自分の才能が、キャリアが、どうして真っ当に評価されないのかという氏のやりきれなさをそのまま映したかのように、「明るく楽しい」ガンダムになるはずであったZZは中盤以降加速度的に陰鬱さを増してゆき、最後はラスボス、ハマーン・カーンの身も蓋もない自嘲で幕を閉じる。 「アストロイド・ベルトまで行った人間が戻って来るというのはな、人類がまだ地球の重力に引かれて飛べないって証拠だろ?」 富野氏は自らを敵役に仮託、投影して語ることが多いが(逆シャアのシャア、F91の鉄仮面等が分かりやすいだろう)、ここではハマーンにそのルサンチマンを代弁させているワケだ。 オレがいかに高みを目指して仕事をしても、肝心の視聴者が知的底辺民だから全部ムダなんだよなァ・・・と。 ろくでなしの俗物なのはあたしだって同じだから、「このままラーメン屋のオヤジでは終わりたくない。高級料理店のカリスマシェフになってチヤホヤされたい」という氏の願望は、心情的には理解出来ないでもない。 しかしそのために一から修行をし直すなんて面倒は願い下げで、いい加減世間の方が、あるいはモノの分かったタニマチが、オレ様にそうした地位を用意して当然じゃないのかという腐った性根には、作品の出来がどうしたという前に、あなたソレ人としてアカンでしょうと言いたくなってしまう。 さすがにプロダクションやスポンサーの方でもその勘違いぶりに呆れ果てたのだかどうだか、本作完結後、氏はTVシリーズの監督を長く離れることになる。 「ザブングル」で本質的には終了していた富野ロボットアニメは、ここで誰の目にも明らかな形で段落となったのだ。 以上書いてきたように「ガンダムZZ」は、富野由悠季という人間のダメっぷりを、これ一作を見ればコンパクトに理解できる便利な作品ではある。 しかし一方で、エンタメとしてのZZは、やはり二度とは見たくないポンコツであり、こんなモノが無印ガンダムのオフィシャルな続編であることは、古参のファンたちにとって永劫苛立ちのタネであり続けるだろう。 追記・それでもあたしは、お美しいハマーン様だけは好きなのさ(榊原氏のファンだしね(;^^)ヘ..)。 彼女がジュドーに「共に来い」と呼びかけ、しかし結局彼によって滅ぼされることを望むのは、ムダと知りつつもファンに「ロボットアニメなど見たがるのはやめてくれ!」と期待し、「それが出来ないならば、ロボットアニメ作家としてのオレに引導を渡してくれ!」と熱望する富野氏のアバターだからである。 シャアから拒絶された我が身を合理化出来ず、ひたすら死に場所を求めて彷徨うハマーンは、感情移入が出来ないでもない、つまり文芸作品の登場人物に足るキャラ性を、ギリギリのところで備えている。富野氏の本心をただ広告するだけの石碑キャラであったタマン少年とは、そこに迫力の差があるのだ。 富野氏は次作である「逆襲のシャア」でも同じ構図で敵役を描き(宇宙移民らからメシアと期待され、利用されるばかりの我が身を滅してくれる処刑吏として、アムロだけを求め続けたシャア)、己が魂の救済を空しく訴え続けたのである。 |
機動戦士ガンダム ZZ |
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ストーリー |
E |
演出 |
E |
作画 |
C |
メカニック描写 |
D |
エポック度 |
D |
総合評価 |
E |
★総合評価基準=A・超良い、B・良い、C・普通、D・悪い、E・死んで欲しい ちなみに絶対的な評価ではなく、その当時のアニメ界にお ける相対的な評価です。 |