No.21

地球少女と防衛家族

「地球少女アルジュナ」と「地球防衛家族」は、先般WOWOWとテレビ東京とで放映されたアニメ作品であるが、どうしてこの2作を一緒に扱うかというと、どちらも河森正治氏の作品(原作・綜合プロデュース)だからである。
 そしてこれら2作には、映像作家としてこの辺りで大きく羽ばたきたいという、氏の並々ならぬ意気込みがうかがえる。
 しかし視聴者としてのあたしは考える。その意気や大いに良しだが、
もう二度とそんな野心を抱くのは止めてくれと。ハッキリ言ってこの2作、これ以上は無いと言っても良いほどやくたいもない。以前散々やっつけたGONZOの作品群など、そこそこに退屈せずに見られる分だけ、こいつらに比べたらナンボかマシである。
 「アルジュナ」に、
 
「現代文明はゴミのかたまりだ。自らが生み出した不要なゴミの捨て場に困り、それに押しつぶされかけている」
 という陳腐なセリフがあるが、あれが自作へのアイロニーであったとすれば、ちょっと同情を禁じ得ないぞ。



 これはあたしの勝手な邪推だが、河森氏には、自覚されているかどうかは別として、庵野秀明氏に対する強烈なライバル意識・・・というよりはコンプレックスがあるのではなかろうか。これらの作品を見ていてそんな印象を持った。
 両氏は若くして映像作品に深く関わり、それぞれに新世代の人気プロデューサーとなった。しかしそのもてはやされ方には大きな温度差があり、河森氏があくまで「カッコイイ変形ロボットアニメの名演出家」としか認識されなかったのに対し、庵野氏は少年少女の心情を生々しく描いて広く深い共感を呼び、まさにカリスマ性のある「作家」として評価されたのである。



 庵野氏よりもやや早く業界に地位を得ていた河森氏としては、内心忸怩たるものがあったのではなかろうか。
 ・・・・なるほど「エヴァ」の深い作家的作業に比べると、自分の作ってきたモノはロボット玩具のコマーシャルフィルムに過ぎないのではないのか?ドラマもなく、魅力的なキャラもなく、訴えるべき強いテーマ性もない「マクロス」は、「作品」ですらないのではないか?・・・・
 そんな思いが氏の心中を去来したのかもしれず、「アルジュナ」と「地球防衛家族」の2作は、そんな自己のポジションから飛躍したいと願ったチャレンジではないのか。
 つまり、自分は変形メカのスチャラカアニメしか作れないのではなく、重い社会的なテーマを謳ったり、人間心理の機微を描いたり、はたまたずっとくだけて小洒落たコメディだってやれるんです、どうです見てくださいというアピールが、画面から熱波のように感じられるのだ。まこと
「さうだその意気!」とエールを送りたくなる。



 ところが出来上がった作品はと言うと、上で書いたとおりに犬も食わない産廃レベル。要するに、あまりにつまらなくって見ていられないのである。
 「アルジュナ」では、人が地球環境とどう折り合うべきなのか、「地球防衛・・・」では、最もドメスチックな単位である「家族」の解体と再生という、いずれも今日的なテーマを扱っていて、それが即ち「作家、河森正治」として脱皮を願う、氏の意気込みを端的に表している。
 しかしそれらのテーマは、氏が自らの内面に、差し迫った問題として突き付けたものではないことが明白であり、つまりは
「ためにする」テーマ選択であることが視聴者にはミエミエであって、それではテーマテリングがいかに饒舌であろうと、見ている方としては白けるばっかりである。



 「エヴァ」の迫力は、そこに描かれるキャラ達の心情が、庵野氏自身のコンプレックスと本質的に結びついているからこそである。だがジュナや大地君たちの懊悩は、河森氏ではなく、別の誰かがどこぞの書物の中で嘆いていたことに過ぎない。そんなものから、少しでも人を震えさせるドラマが生まれようか。
 毎度マンネリの揶揄でまことに申し訳ないが、ちょっと頭の良い中学生の文芸部員が、流行りのテーマを適当に見つくろって、テキストから得た知識のみででっち上げた小賢しい素人小説という風情。ハッキリ言って2作とも見るに耐えないぞ。



 だから河森氏には、これからも変形メカのパッパラアニメだけを作っていて欲しいと、あたしなんかは願っちゃうのである。
 マクロスシリーズは確かに良くできた娯楽作であって、世間もそのプロデューサーとしての氏を高く評価しているのだ。
それで良いではないか。
 世の中には重い社会的テーマを謳った作品も必要だが、また一方で脳天気なスチャラカ作品だって必要なのだ。どっちが尊いということはない。面白くさえあればどちらも尊いのである。



 クリエイターとして更なる高みへ至ろうと願ったり、全く異なる作風にチャレンジしようとすることは真に尊い。
 しかしそのためにはとてつもない勉強を自らに科す覚悟も必要であって、河森氏が心底から「アルジュナ」だの「地球防衛・・・」だのの作品を世に問いたいのであれば、それこそ文芸だの作劇だのを基礎の基礎から勉強し直したり、またアニメやSFテキストからは決して得られない、生の社会勉強というのをみっちりやってみるだけの覚悟が必要だと思う。
 それが面倒なのならば、現在位置に留まったり引き返したりする勇気を持つことも大切だと思うぞ。
 いいじゃん、生涯一マクロス作家だって。それを極めるのも幸せじゃん。世の中には生涯これといったものを産み得ない、あたしのようなチンピラ物書きだっているんだもんね、とキレイにオチたところで、今回の毒電波は終了〜。



追記・ちと細かいことを書き忘れたけど、「地球防衛家族」の方は、設定から演出の隅々までスベリまくっている点、
久々にスタジオぬえらしい作品を見た思いです。このセンスの無さ、実にぬえだな〜。
 まあ本作は、水谷さんが久々に教師役を演じているのと、矢島さんが美少女を演じている伝で、オタッキーなアピール度はあったと思いますが。
 それと「アルジュナ」は、せっかくの板野サーカスが最終回だけというのは実に勿体ないぞ。CGなんかに凝ってるヒマがあったら、そういうサービスにこそ心をくだけば良いのに。


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