No.47

このアニメはこう見やがれってんだ!(11)

 2004年度2発目のアニメレビューです。
 今回は3作分やっつけるはずだったんですが、何だか長くなっちゃったので2作分に減らしましたとさ。
 ちなみにあのビッグオーを久々にボコってやったので、ファンの方もアンチの方も寄ってらっしゃい見てらっしゃい。

ななか6/17(ななかじゅうななぶんのろく)


 八神健氏のマンガを原作としたコメディアニメ。アニメ版は原作の最初の方をフォローしているらしいが、あたしは例によって未読なのでその辺よく分かりません。



 内容的には、ヒロインの女子高生、霧里七華ちゃんが、ふとしたことから6歳児へと精神退行を起こしてしまい、んなのにそのまんま高校へ通学を続けちゃったりするから周囲は訝ったり混乱したりというスラップスティックかな。
 体裁がそうであるから、最初は七華ちゃんは単なるトゥリックスター的役回りなのかなと思っていたけど、次第に七華ちゃん個人の心理劇的要素が強くなり、17才の七華と6才の七華がイニシアティブを巡って対立したり、あるいは相互理解を図ろうとしたりと、言ってみれば
「逆アルジャーノン(何それ)」のような展開を見せる。



 アニメ版を見る限りは、七華に乖離が起こった理由について説得力のある説明はないし、故に文芸の本体部分たるキャラたちの心理には今ひとつ入り込みにくい。ひいてはそれが、シリーズ全体を通したドラマの流れを阻害してしまっている感があるのは残念だ。(6才七華が、ほころんでしまった幼馴染み同士の絆を何とか修復したいと願って出現したのだったりしたら素晴らしく感動的になったろうと思うけど)



 とは言え、そも原作の持ち味なのか、それともさすがは桜井弘明監督だからと言うべきなのか、出てくる女の子はみんなとっても(ビジュアル、パフォーマンス共)可愛らしいし、毒は無いけどテンポの良いギャグで、ウキウキと楽しく朗らかな画面を作っているのは良いと思う。
 人格の再統合へドラマを持っていくのに、七華が固執している魔女っ子アニメをキーとして描くやり方も上手いし丁寧だな(原作が上手いのかも)。何より6才七華があまりに良い子なので、最終回の観覧車のシーンなんかポロポロ涙がこぼれちゃいましたよ。



 かよう、コメディとしてのアニメ「ななか」には及第点を付けるにやぶさかではない。


 見ているうちにムカムカムカムカムカムカムカムカしてこないでもないってのは、あたしは別にフェミニストでも何でもないけれども、やはりその物語構造自体が、バカ男のバカ願望だと笑って看過するには無邪気に過ぎるからだと思う。



 
そも男ってのは、全体いつまで女を無垢という幻想の城に押し込めておきたいのか。かつまたそれでないと安心できないのか。あれじゃあ17才七華は全く立つ瀬がないでしょうが、ええそうでしょうが。
 そんな体たらくだから、男はいつまでたっても女に勝てないのである。つか足下にも及ばないのである論外なのであるゲジゲジなのである。
 バカ女を愛でたいクソバカ男たちによって、過去何度、あたしのようなインテリの心が傷付けられてきたか、「ルックスはともかく性格がな・・・」なんつー心無い言葉に踏み付けられてきたか、あたしは中学、高校の時のことでも絶対に忘れてないから、必ず復讐してやる気でいるから、その時んなって思い知るが良い。
バーカバーカバカ男!!


(編集子注・途中からテキスト内容が、ラスカルにしおの檄文「男社会、その愚昧と害毒を誅す!」に入れ替わってしまったことをお詫び申し上げます)

THEビッグオー・Second Season


 大人気シリーズの続編・・・と言うよりは、未完のまま放置されていたものを完結させてみましたって体(てい)の作品ですね。



 以前このコーナーで第一期シリーズをこき下ろしてやったらば、親でも殺されたかのような抗議メールがジョワジョワ送り付けられてきてエライ目に遭った。
 愚民共の蒙を払ってやろうという真心から、勿体なくもあたしがボランティアでレビューをしてやっているのに何という罰当たりか。などと憤りつつ、しかし第2期シーズンは第2期シーズンで公平に批評しましょうってんだから、全く持ってあたしってば銀河のように広く深いお心ザンス。
 ん?え?前回のレビューで、もう小中作品は最初から見もしないと宣言したはずだって?
さぁ〜て何のことだか。あっしはとんと覚えちゃいねぇんですがねェ。



 さてこの第2期シリーズだが、今回は小中氏がシリーズ構成のみならず全話分の脚本を自ら書き下ろすという気の入れようなのに対し、監督の片山氏は「まんまと逃げおおせた犯罪者が、何を思ったのか三年ぶりに事件現場に帰ってきたという心境」などと発言し、最初から腰が引けていることがミエミエでいとおかし。
 まあそれも無理はなく、第一期シリーズはどう見ても世界観だけを先にでっち上げた内装なしのデタラメストーリーであって、提示された謎だの何だのを説明したり後付けしたりは、仮に出来たとしても陳腐なモノになるのが分かり切っているから、制作責任者としては尻切れトンボのままばっくれたい作品であったかもしれぬ。



 誤解されると困るのだが、あたしはそういうスチャラカな物語作りを難じたいのではない。それ自体は全然オッケーだと思っている。
 後先全く考えずに作品を作り始めるのはマンガでは良くあることだし、またそうして連載を始めたマンガ作品が次第にノリノリになって傑作と化すなんてのもままあることだ。つまり出来上がったモノが面白くさえあれば、その素材がフェイクだろうが構成が多少ガタピシしていようが作劇の手順がデタラメだろうがとやかく言いませんよ。
 しかるにこの第2期シリーズがやっぱりどうしようもない駄作であるのは、ひとえに
主人公ロジャーのキャラクターが埒もないからということに尽きよう。



 第一期シリーズの批評で縷々指摘したとおり、このキャラクターには描かれるべき人としての中身、このこと故に彼が他の誰でもない、ロジャーなのだと自己を証明する縁(よすが)、つまりアイデンティティというものが完璧に欠落している。それは舞台となる都市の市民全員が過去の記憶を無くしているという物語中の都合とは関係なく、単にもうそういうキャラクターなのである。(このことは、はしなくもロジャー自身が「ドロシーが僕をロジャーと呼ぶ限り、僕はロジャー・スミスだ」と臆面もなく表明している)
 「自己」というモノがないから、ロジャーの所作やセリフには、その人となりの内奥から発するモノが当然にない。その場その場で適当なことを言ったりやったりするだけだ。
 相手が弱そうなら尊大に構えたり通り一遍の見得を切ってみせたりするが、いざ強敵と対したり予想外のトラブルが起きたりすると途端にオロオロと意気地が無くなったりヒスを起こしたりする。
 テレビドラマのセリフ程度は諳んずることが出来、それで友人を感心させることはあるかもしれないが、その友人から小突かれただけでウワッと泣き出してしまう、そんな幼稚園児のような主人公がロジャーなのである。
ろじゃーすみすよんさい。



 どこぞのタワケ青年が自分探しの旅に出るというようなオハナシならば、あるいはそんなキャラクターが主人公でも良いかもしれない。だけど入れ物としての「ビッグオー」という作品はスーパーロボットアクションでしょうが。スーパーロボットをヒーローが颯爽と駆るエンタテイメントでしょうが。違うというならメガデウスもネゴシエイターも最初から出すなってんだよ馬鹿スタッフ。
 ロジャーがビッグオーに乗り込んでも、「待ってました、敵をブチのめせ!」なんて高揚した気分にはまるでなれず、「今日のロジャー坊やは何分で泣き出すかしらねえ」なんてウンザリした心持ちになっちゃうロボットアニメなんかいらないよ。あのエヴァですらその辺にはキチンと配慮をしてあるのにさ。



 先般オンエアされた「TEXHNOLYZE(テクノライズ)」がまあまあの力作だったので、「小中氏もちょっとはやるじゃないか」などとウカウカ思ってしまった自身の人の良さに腹が立つ。やっぱりコイツはダメライターなのだそうに決まった。などとあたしもブーたれていないで、ダメな作家の作品は最初から見なければ良いのよね。
そうだわ、ウン、次からはそうしよう。



追記1・第一期シリーズに比して、パラダイムシティがかなりあからさまな戦後日本社会のメタファーとして描かれているのには驚き半分、またこれかよ半分である。
いい加減やめようよこれ。どう見ても頭悪そうだよ。そうか実際悪いのか、スマン。



追記2・(多分)第2期シリーズから使われ始めたビッグオーの兵装で、腕のガトリング砲だけはちょっとイカしてたです。煙だかベーパーだかが輪状にブワーッと拡がっていくのが格好良かった。
 つってもあくまでちょっとだよ。第一期の酷評レビューをして、「ストーリーやキャラにチマチマアヤを付けるのはズレている。ビッグオーはロボットアクションの素晴らしい痛快さを楽しむべき作品なのだ」という抗議メールを送ってきた御仁がいたが、ちゃんちゃら可笑しくてヘソがマグマを沸かすわい。ビッグオーが痛快ならマジンガーなんか痛快の致死量オーバーだぜ。うぬら浅薄な小僧共とは見てきたモノが質、量とも違いすぎるんじゃい。あたしに意見するなら5、6回生まれ変わって霊的ステージを上げてからかかってきやがれってんだ身の程知らずめが。



追記3・ちなみにドロシーちゃんはだけは相変わらず可愛いぞ。何故なら矢島晶子だからだ!
矢島さんの悪口を言うヤツがいたら・・・刺す!本気だぜ!


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