No.59 このアニメはこう見やがれってんだ!(19) |
マドラックス |
こういう箸にも棒にもゲッタートマホークにもかからない駄アニメをこしらえるのはどこのバカモノかと思ったら、箸にも棒にもゲッタートマホークにもかからない「ノワール」のプロデューサー、真下耕一なのであった。全くどうしようもね〜なコイツわ。 その内容の空疎ぶりたるや、まるで大英博物館に藁ダンゴが半カケだけ展示してあるかのようなモノスゴサ。 26話という長尺の文芸中、およそ主述と呼ぶべきモノがあるとすれば、「バカ女が大勢で」、「紛争地帯をウロチョロする」というだけのことであって、その間の真空を例によってクソみたいな修辞と、貧困というのも勿体ないカスイメージで延々埋めているんだからママン助けてよママン。 こんなクソバカバカしいオハナシの中で命を弄ばれるキャラ達がまっこと不憫すぎる。反吐が出るよ全く。 こうした、単に無能というにとどまらない、ハッキリ悪質だと断じたいクズプロデューサーが業界から放逐されて二度と戻ってこないことを、無駄とは知りつつ切に願う。 |
ダイバージェンス・イヴ(シリーズ第一期) |
巷では「毒乳アニメ」と呼ばれているそうである。別に毒でも乳でも結構だが、そもアニメ作品としての出来が全くオハナシにならないゴミクズであることは問題だろう。 正味のところこれ以上につまらない作品なんぞ2005年秋現在とんと思いつかないほどであり、あのラーゼフォンですら遥か上に仰ぎ見てしまうような超絶駄レベルのシリーズ構成をやってるのはどこのバカモノかと思ったら、アニメ界に巣くう最凶最悪の忌むべき寄生虫、野崎透なのであった。全く殺すしかないなコイツわ。 特段あたしが言わずともこの男の評判はすこぶる悪いが、分けても巷間よく聞くのは「野崎は人間が全く書けない」という揶揄であって、換言すればそれはドラマが全く書けないということであろう。 全体ドラマを書く(作劇をする)とはどういうことであるか。 単にオハナシや世界観を語るだけでは決してドラマにはならない。その中で生きるキャラクターの心情や運命に、視聴者のあらゆる心の動き〜大から小まで全て〜を導く作業の総体、それが作劇である。 つまり見る者をして、「そっちへ行っちゃ危険だぞ!」とか「ああ、何でその人の気持ちが分からないんだ!何でそんな素っ気ない態度を取っちゃうんだ!」とか「そんな卑劣漢と手を組んじゃダメだよ!」とか「バカだなあ、でもコイツ憎めないよな」とか「やっと平和が訪れて良かったなあ。でもあの愛すべきキャラはもういないんだ・・・」などとハラハラさせたりイライラさせたりムカつかせたり頷かせたりホッとさせたり笑わせたり泣かせたりして、まあ大仰に言えば、あたかも自らが作品世界と関わっているかのような錯覚をさせねばならぬ。 それをやらない(出来ない)のなら、そもキャラクターを用いてストーリーを語る必要などはないし(つまり世界やそこでの出来事を俯瞰図としてテキストで書いておけば事足りる)、逆にキャラ(人間)が書けない者には当然にドラマも書けないということになる。野崎はそうした無能野郎のトンデモ甚だしい総天然色見本であって、結果本作中には、思い出すだけで虫酸の走るあの「ガサラキ」同様、人間もドラマも全く存在していないのである。 もちろんこのアニメにも、一見人間の姿をしているモノが登場はする。しかし実のところ彼らは人間ではなく、せいぜいがRPGの村人、つまり「石碑」としての機能を持たされただけのユニットであって、だから世界観や劇中の事象についての情報を呈示はするが、真に人として振る舞うことは一切ない。 即ち彼らが喋るのは、「疲れたら宿屋で休むといいぜ」とか「村の西の方に洞窟があるよ」とか「村長の娘が魔物にさらわれたそうだ」とかいう類のことに過ぎず、ゲームであればその情報をどう処理するかという主体性がプレーヤー側に与えられているから、つまりドラマ構築を見る者に半分任せているワケだからエンタテイメントとしてオッケーであるが、インタラクティブ性のないアニメ作品がそれで同様に成立する道理もない。 また「疲れたら宿屋で休むといいぜ」ならまだ良いが(良かぁねェよ)、同じその情報を、野崎は「疲労したら宿泊施設で12時間以上の休息を取ることが肝要だ。筋肉疲労だけならば薬草やヒーリング術で回復が出来るがね。筋肉疲労と言えば、かつては運動によって生じる乳酸がその原因物質と言われていた。乳酸・・・生体内に発生するヒドロキシカルボン酸類だが・・・によって筋肉内のPH及びカルシウムイオン濃度が変化し、その収縮力が弱まるというワケだ。しかし最近の研究ではその逆で、乳酸はむしろ筋肉疲労を和らげるために発生するのだと言われている。2004年8月に「サイエンス」誌に掲載された論文では、乳酸はATPの発生分布、即ちエネルギーの供給不均衡を・・・」などというクソみたいなレトリックやウンチクでいちいち塗り固めてしか書けないのだから始末に負えない。 いつも書くことだが、修辞の多いテキストというのは低脳かつ心根のさもしい者のテキストであって、それは本文が空疎、あるいは全く無意味であることを糊塗しようとした結果だからであり(インチキ薬屋がやたらそれらしい科学用語を使ってみたり、医学博士を詐称してみたりするのと全く同じ伝である)、言い換えれば、書く(書ける)ことなど何も無いクセに何某かのレトリックを並べておけばそれが仕事だなどと勘違いをしているバカをいつまで使ってるんだ業界いつまで看過してるんだ一部白痴視聴者どもめが! かつてと違って今やアニメは堂々たるメジャー文化で、だからこそ尋常でないペースでマスプロもされているのであり、品質管理が行き届かないのも宜なるかな、たまにはゴミもあるだろうというのも一つの見識でしょう。正直あたしもそう思う。 しかしそれにも程ってモンがあるワケで、この野崎だとか上の真下だとかのフェイク野郎にアニメ界としてダメを出せないということは、人体で言えばさしずめ免疫機能不全のような深刻な状態とは言えまいか。全身をピカピカ健康に保つのは難しいとしても、命に関わるような害毒、病菌をパージ出来ないってんじゃ待つのは破滅だけではないか。 つまりあたしは個人的好悪からここで憤懣をブチまけているのではなく、どころかTVアニメという文化を愛するが故、制作者側、消費者側双方を思いやり、他でもない我が身を守るためにはチミたちもう少しでもオツムを使いなさいなというありがた〜い諫言を毎度してあげているわけで、死後顕彰碑が建ってもおかしくない偉人ぶりだと思うんだがなあ。そうじゃありませんかあなた。 |
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