No.84

このアニメはこう見やがれってんだ!(42)



SPEED GRAPHER(スピードグラファー)

 「オレはもうすぐ死ぬらしいんで、国家反逆罪とか淫行罪とか全然怖くねェし!」とか何とかワケの分からない思い込みに取り憑かれた変態テロリストが、気に入りのロリをヤケクソでかっさらい、ついでにそこら中の車だの施設だのオバハンだのを手当たり次第に爆破して回る物騒なオハナシ。



 中盤からは敵役のニヒリストの存在感がやたらと増して、彼の哀しい過去や、部下のチンピラ共が何故彼に献身するのかなど、「厳窟王」を強く想起させるドラマ展開がなかなか面白い。



 全体に作画状態が不安定なため、シビアなシーンが何やらオマヌーに見えちゃってハードボイルドの雰囲気台無しだとか、追っ手のスタンド能力者たちとの戦いがグダグダで全く盛り上がらないとか、ヒロインはガサラキの美鈴にソックリなのにCVがこおろぎさとみじゃないとか(なんのこっちゃ)、不満難点は山盛りなれど、
エンタテイメントとしてギリギリ及第を差し上げますのでオカネクダサイ。


D.C.S.S. ダ・カーポ セカンドシーズン

 世にダメ〜なパート2モノは星の数ほどあれ、まあこの「D.C.S.S.」くらい「作らなけりゃ良かったのに」感爆裂の愚作もそうはあるまい。ヒドすぐるよホント。



 内容的にはアニメ版一作目の続きになってるようで(正確には、ゲーム版音夢ちゃんエンドの続きということらしい)、あれから二年が経った初音島に魔法使いの少女がやってきて、純一と音夢ちゃんがラブラブオメデト〜な前作の決着を、もう一度ゼロからリプレイさせようとするってのがそのシノプシスだ。



 恋することの楽しさと苦しさ、それ故に生じる人物間のドラマを描くのがラブコメというジャンルのテーマだとすれば、
本作の登場人物は皆、実質その生を終えた死者たちである。
 彼らによって描き出されるテーマ(恋とその行方)は前作でキチンと完結しており、連中はこれ以上、この物語世界で果たすべき役割を持たないからだ。



 つまりキャラたちは劇中、本質的には何もやることが無いのであるが、尺の間ただずっと突っ立ってるワケにもいかないと、健気に頑張って何某かを演じようとする。
 しかし死者が生者のごとく振る舞おうってんだから当然に無理があり、それはそのまま、彼ら自身のキャラクターイメージがバキバキスポイルされるという形で表出してしまうのでした。



 特に純一(主人公)の劣化ぶりは甚だしく、前作では、阿呆で物ぐさだけれど、心根の優しい好青年だったのに、この「D.C.S.S.」では異様に猜疑心が強くて嫉妬深くて音夢ちゃんのプライベートを嗅ぎ回るという、ストーカージジイみたいなキャラに堕してしまっている。
 
企画骨子がそもそも間違っていたことのツケを、作品世界の住人が、醜悪なゾンビと化すことで支払わなければならなかったのである。



 無印「D.C.」は、主人公らが暮らす世界や時間が滅んでいく様を通じて、モノも、人も、そしてその心も、ひとところに留まっていられるものは何もないのだという、無常の哀切を描いていた。
 だからこそ、「人生はゲームのようにリセットできないというが、つまづいたら何度でも、最初からやりなおせば良いんだ。ダ・カーポのように・・・」という純一の独白が、明らかな反語として感動的だったのだ。それをあーた、
マジで「ダ・カーポ」しちゃってどうするよ。



 やたらゾロゾロ出てきた新キャラ(アニメ版では)にも全く面白味が無いし、作画レベルも甚だしく低下しているしで、もう視聴者としては、ああ前作は良かったなァと嘆息するより他にやることナッシング。
 絵に描いたような(絵だが)続編の失敗例として、アニメ学校の教材にでもしてしまうのがせいぜいの利用法と思われる。



 追記・本作のダメっぷりによって最も割を食った格好なのは、無論キーキャラであるアイシアであろう。
 死者だらけの島に、たった1人生者としてやって来て、寂しい、みんなが生き返れば良いのにと願ったこの少女を、アホだ浅薄だと誰が笑えよう。
 アイシアをドキュソに見せているのは、上記の通り作劇構造のロクでもなさであり、つまりこのキャラクターは作品そのものに陵辱されたようなものであって、スタッフは鬼畜と誹られても詮なかるまい。



 追記2・本作の美春ちゃんは、ロボじゃないホンモノの美春ちゃんということなのでしょうか?そんなのヤダなあ。
 いやリアル美春ちゃんだってイイ娘には違いないが、ロボ故のペーソスがあってこその美春ってキャラじゃないのかなあ。知らないけど。


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