No.91

このアニメはこう見やがれってんだ!(49)

 

TOKKO 特公

 
 「白デビルマン軍団VS黒デビルマン軍団・PROJECT ARMS風味」みたいな、ステレオタイプ極まりないオハナシ。



 人気コミックが原作としてあるそうで、そのマンガは未完に終わっているらしいが、ならばアニメで独自の結末を作ってみようだとか、あるいは原作のアクションがカッコいいからそれを更にカッコ良く動かしてみようだとかいう本作ならではの壮図、即ち「何をやりたいのか」がサパーリ伝わってこない無気力ぶりがイタイ。そんならアニメ化なんぞテンからやめておくがイイじゃないか。



 作画も凶悪なまでに垢抜けない味であり、こういうレベルのモノをヌケヌケとオンエアなぞしているから、WOWOWでアニメを見ようって人がいなくなっちゃったんでないかなあ。



 ちなみにふみちゃんが可哀想なヒロイン役で出演し、何にも活躍しないうちに可哀想な死に方をしてしまう。
 
一体業界には、喜久子姉様を上げたり下げたりしてハァハァする会に加え、ふみちゃんを苛めてイジめて今夜のオカズにする会まであったりすんのかと、毎度怒りに目がくらんで睡眠導入剤の量ばかり増えるあたしなのだじぇ。
 
 

秒速5センチメートル

 
 新海印の四作目で、同氏による「ほしのこえ」や「雲のむこう、約束の場所」に共通するテーマであった、「焦れる相手との断絶を、ただ嘆くよりない柔弱な者たちの悲哀」が、さらに深化した形で語られている。



 あたしは普段、こういう修辞の勝った作品はクソミソにコキ下ろすのが常だけれど、本作の迫力には只々圧倒されちゃって、完全に白旗状態。
 文芸とビジュアルのバランスが非常に高いレベルで取れていることが素晴らしく、
単なる「ダメ人間エレジー」がこんなに美しくて良いのかと、表現者としての新海氏に強烈な羨望の念を覚えてしまいましたわよ。



 本作には、様々な速度で移動をするモノが登場する。



 秒速5センチで舞い落ちる桜の花弁。
 時速5キロで発射場へと搬送されるロケット。
 豪雪の中を、幾度も停車しながらノロノロと進む列車。
 「太陽系のずっと奥まで」ひたすら飛び続ける探査船・・・・



 絶対的な速度はともかく、移動する主体にとってその進む先は無辺に等しく、だからあまりにも遅すぎると言うよりないそれらは皆、人の生涯のメタファーである。
 いや「人の生涯」と言っては不十分で、「ある特定の人々の生涯」と言うべきか。
 「特定の人々」とは無論、あたしのようなダメ人間のことなのだが(トホホホ・・・・)。



 そのことを鮮烈に表現しきって圧巻なのが、第二話「コスモナウト」のクライマックスだ。



 初恋の少女が忘れられないが、だからといって思い切ったアクションを起こすでもなく、日々を鬱々と過ごすだけの少年・・・
 その少年に恋い焦がれながら、想いを打ち明ける勇気を持てない少女・・・
 他者には恋人同士とも映る2人の間が、真には全く断絶しているという現実を、その噴射炎で強烈に照らし出しながら上昇していくロケットは、つまり「もうひとりの彼ら」である。



 ロケット(宇宙探査船)にはモノが言えない。進路を自ら選択することも出来ない。
 だから彼は「滅多に一粒の水素とすら出会うことなく」、虚無の中をただ突き進むよりない。
 そうしたロケットの運命は、何か愉快な、美味しいイベントが起こるのかもしれないと待ち焦れながら、しかしそれを主体的に求めることのない者に、真に実り多い人生など歩めるはずもないという現実の表象なのだ。
 
何という寂寞とした道、何という絶望を、そうした者たちは生きなければならないのだろう。



 しかし彼らがそのようにしか生きられないのであれば、それはもう仕方がないではないかと、作品は語る。
 ひっきょう、例えば山岸良子氏のマンガ作品で繰り返し断罪され続ける意志薄弱な者たちを、本作では嘆息しつつも静かに赦しているような印象だ。それが切なくて、あたしはボロボロ泣いた。



 作家性が強まっている反面、エンタテイメント性は弱まっているため、見る人は選ぶであろうが、まさにそのこと故に、あたしは「秒速5センチメートル」を評価したい。
 
山崎まさよしのイメージソングがこれでもかと象徴している、女の腐ったような負け組の人たち(あたしだあたし!)には、これ以上なく強くアピールするであろう力編だ。



 追記・新海アニメの本当の見所、真髄は、その美術にこそあるという意見を巷間聞く。あたしも全く同感である。
 と書くと、「何だ、ただ絵面が綺麗なだけの環境アニメか」と安く見る向きもあろうが、背景美術が全体を牽引する迫力となっている作品なんてそうそうあるものではなく、もうそのこと自体が価値ある個性だと断じたい。
 本作でもその持ち味は十全に発揮されており、春夏秋冬、それぞれの季節が「滅びてゆく」瞬間をズバリと切り取って見せる手腕の鮮やかさには唸らされる。
 長く伸びるロケットの噴射煙が水平線からの西日を遮り、大空を明暗に二分していくシーンの凄絶な美しさなどはどうだ。どうして凡手には出来ない立派なお仕事である。


→電波館のトップへ戻る