番外記事

キミはファイヤースティックを手に持った
か?


 
2010年に東京MXで円谷の「ファイヤーマン(1973年度作品)」が全話放映されまして、それを録画だけしてず〜っと放置してあったんだけど、コロナ禍で出来たヒマな時間を利用してイッキ視聴してみました。
 んで日記に感想を書こうかなと思ったんですが、実際書いてみたらちょっと長くなっちゃったのでコチラに掲載することにします。


 さてあたしにとって「ファイヤーマン」は、名前は知ってるけど上映会その他で数話分しか見たことのない作品だったんですが、今回全話を視聴してみて、フツーにくだらなくてフツーにつまらない作品だなあという印象を持ちました。

 このフツーにつまらないというのは困りもので、例えばピープロ作品のように突き抜けたチープさアホらしさがあればそれはそれで楽しめるのに、円谷だからそこそこ無難にまとまっている分、ただ退屈なだけという感じの作品になってしまっています。
 ありえねーほどクソ不味いトンデモ料理をお店で出されたら、その料理をSNSでディスったり、思いがけずにそれがバズったりってこともあるか知れませんが、美味しくはないけれどまあ食べられるというレベルの料理は、ホントにもう何にも使えないという感じでしょうか。


 本作のダメっぷりを一身に体現しているのは、まさにファイヤーマンという主役ヒーローその人です。
 コイツ炎の超人とか何とかイキってるくせに、敵の熱光線や火炎放射には当たり前にアチチチ的なリアクションをしますし、しまいには丸焼きに燃やされて死んでしまう。
 「燃えるマグマのファイヤーマン♪」ってそういう意味なんかーい!とツッコミたくなること必至であり、大火災や噴火口、はてはバルゴンの虹色光線にまで自ら飛び込んでってヒャッハーする、初期ガメラの徹底したキャラ性をちったァ見習えってんですよ。
 灼熱の地底国からやって来た炎のヒーローという設定はまあまあ新しいですし、顔面を大目玉が覆っているデザインだって大胆で悪くないのに、実際のフィル ムではそれら美点が完全にスポイルされてしまっているのです。これではどうしたってウルトラマンのチープな下位互換にしか見えません。
 そうしたヒーロー造形の散漫さからは、当時の作り手たちの、
 
「怪獣とか巨大ヒーローとか、どうせもうオワコンじゃね?」
 というションボリなモチベーションが透けて見えてしまいます。

 「円谷プロ創立10周年記念作品!」などと御大層な看板を掲げておいて、内心それほどノッてないってのがアリアリ。
 これまでとは違うスゴいモノを作るぞ!色々と新しいチャレンジもやっちゃうぞ!という気概が、画面からは毫も感じられないんですもん。


 いや本作は「特撮怪獣番組の原点回帰」が企画骨子なんだから、新しいことをやらないのは当然じゃないのかという向きもあるかしれませんが、旧態まんまのモノを漫然と再生産するのと、そこに独自の壮図を込め、作品を世に問う意味を自問しながら仕事をするのとでは、出 来上がるモノのクォリティが自ずと違ってくるはずです。「ファイヤーマン」は、残念ながらその前者であるポンコツクォリティ番組となっているように思います。
 現代に蘇って暴れ出す恐竜を何となく迎撃するという序盤の展開からして、地味なだけでドラマ的に硬質なわけじゃないから見応えを欠き、ツカミでもうコケてますし、こりゃイカン色々ハデにせねばとテコ入れを図った後半も、ロボと戦ったり宇宙人と戦ったりゾンビと戦ったり
ハーモニカと戦ったり(意味不明)と支離滅裂な迷走自滅ぶりが、いかにも昔のダメ〜な子供番組にありがちな流れでイヤすぐる。これでは見る者の心に刺さるはずもありません。


 創作に何より求められるのは、やはり愛と情熱なんだよなあということを強烈に示しまくったダメヒーロー、それがファイヤーマンだったと言えましょう。
 以上、まことに簡単ながら、炎の超人のレビューでした。

 追記・それでもOPテーマだけは悶絶するほどカッコイイですけどね。さすがは阿久悠&小林亜星の名タッグ!
 あたしにとって「アイアンキング」、「トリプルファイター」と並ぶ大好きな特撮主題歌トップスリーかもしれず、
その勇壮さに胸の躍らないような無意気者とは口もききたくありません。


 追記2・紅一点のマリ子隊員を演ずる栗原啓子氏の演技力が悶絶するほどにヒドい!
 あまりのヒドさに
「どんだけ棒なんだよ!ひのきのぼうか!最安か!10ゴールドか!」
 と散々ツッコミながら見ていました。
 でもそれは、撮影当時に御本人も周囲のスタッフも分かっていたらしく、岸田森氏らから度々(演技の拙さを)叱られて泣いていた、というエピソードを後で知って反省。スイマセンご苦労も知らずに言い過ぎました。


 追記3・あたし的にちょっと印象的だったエピソードを、最後に少し紹介してみます。


 「殺しの使者デコンとボコン」(第21話)

 
大前均の腹から花巻五郎の頭が生えて暴れまくるという地獄のようなオハナシ。どんな罰ゲームなんだよそりゃ。
 全編コメディ調のエピソードなのに、悪役2人に1ミリのペーソスも無いあたり、脚本のヤッツケぶりが何とも勿体ない。
 デコンとボコン(デコボコ)というネーミングといい、いくら何でももうちっとヒネれ!と言いたくなるよ。


 「射つな!怪獣だって友達だ」(第29話)

 偏狭な正義感から、SAFへ入隊して怪獣をブチ殺しまくりたいと志願する少年に、ムガール・・・・もとい海野隊長は、入隊テストだとして実験用マウスの飼育を命じる。
 地味な仕事だとブツブツ言いながら、しかし一方で少年は、ネズミがなかなか賢くて可愛らしい生き物であることにも気が付き始めるのだった。

 ところが実験室に侵入した幼怪獣が、ネズミを残らず食い殺してしまう。
 激昂して幼怪獣を打ち殺そうとする少年を、海野隊長は、
 「この怪獣はネズミを殺したかったわけじゃない。ただ親からはぐれて、とてもお腹を空かせていたんだろう。怪獣も、小さなネズミも、みんな必死に生きようとしているんだ。そのために他の生き物を殺してしまうことがある。それは私たち人間も同じだ。赦すことも必要なんだよ」
 と優しく諭すのだった。
 海野隊長もかつての少年時代、子育てのために金魚をさらった母ネコを空気銃で射殺してしまったことがあり、それを深く悔いていたのだ。

 この話だけに注目すれば、ステレオタイプながら、子供に想像力と思いやりの大切さを平易に説く、そこそこの良編と思える。
 がしかし、毎回怪獣が出現するや問答無用で即ブッ殺せと命じる海野隊長にそれを言われると、「隊長、ホントは優しいんだな」と思うより先に、「この人、今週は身体の調子でも悪いのかしら?」などとそぞろな気分になってしまうのは困りものだと思う。
 まああのキリヤマ隊長だって時に平和だの互恵だのを説くことがあるのだから、取り立ててあげつらうことでもないのか知らないが。


 「来たぞ!変身宇宙人」(第22話)

 不気味に身体をくねらせながら、
「ホワホワ!アーッアーッ!ポキャポキャ!」
 などとパンキッシュに喚きまくるインベーダーが冒頭から登場。
 
宇宙人と言うよりはどう見てもアレな人であり、しかもそれを大村千吉が演じているのだから尋常なヤヴァさではない。

 この宇宙人の母星は地球よりもはるかに文明が遅れていて、せいぜいが原始時代クラスの未開ぶりなのだとか。
 そこで地球人を調査し、どうやったら高度な進歩が遂げられるのか、そのノウハウを得ようとしているらしい。
 しかし大宇宙を宇宙船で押し渡ってくる連中のどこが「遅れている」のかサパーリで、むしろ地球のが色々得てーよノウハウ。

 「プリマ星人」と名前は何か肉っぽいのに、実は菜食主義で山菜をむさぼり食ってばかりいるというのもイミフな設定であり、原始時代並みなのは脚本家のオツムの方ではないかと思われる。
まさに怪作。


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