No.29
分け入っても分け入ってもゴミの山
正月一発目から、怒髪天をついているニャントロ星人の毒電波がゴリゴリ送られてきました。またまたやくたいもないアニメ作品についてキレまくってるみたいです。
そんなの読みたくねえ!という向きもあられるでしょうが、毒電波をため込むことはあたし自身の健康にとってマイナスですので、例によってここでこき下ろしレビューをブチまけます!ブチまくります!
サイボーグ009
ものすごく頑張っている。とてもではないが、ゴミだの何だのと揶揄する気にはなれない作品である。
「最後期の石森先生の絵柄をトレースすることに何の意味がある?」だとか、「エピソードごとの出来不出来がありすぎる」だとか、「オタクのスタッフが自己満足のために遊んでいるだけ」だとか、文句を付けようと思えばいくらでも付けられるのだけれど、それでもスタッフの「009」に対する愛を感じることも確かである。
加速時のエイトマン走りなんかなかなか良く雰囲気が出ているし、コズミ博士の何ともホッとする人格者ぶり(ひ弱な優しさではなくて、厳しさと強靱な勇気に裏打ちされた優しさ)など、原作をさらに深化させた描写がなされていて感心させられた。
だがしかし!しかしである!
見続けるにつれ、何とも哀しい、情けない、薄ら寒〜いような気分になってくるのである。
何故だろうと色々考えてみたのだが、つまるところ、その素材が「009」だから、という乱暴な結論に到達せざるを得なかった。
そう、これが「009」でなければ、うるさ型のあたしも笑って許していただろう。しかしあの宇宙一カッコイイ、胸躍る、痛快な、そして切ない、アクションマンガの最高峰が原作であると思うと、とても無邪気に楽しむ気にはなれないのだ。
本作のように60点のアニメ化では論外。100点でもまだダメ。140点でもその魅力を再現できるか怪しいものだ。「009」とはそういう素材なのである。
「009」は、もう決してアニメ化したりしてはイケナイ作品なのかもしれない。するのであれば、原作内のことはたとえ石ころ一つにしても動かして欲しくない。
独自の魅力を盛り込もうと色々設定をいじくっているスタッフの熱意は尊いが、それが真摯な努力であればあるほど、フィルムは「009」の実像からは遠ざかっていく。そんな空しさを感じてしまう作品である。
「ヤッ、あいつもマッハで移動できるぞ!」
なんてスーパーイカしたセリフは、絶対端折ったりしちゃイケナイと思うんだけどなあ。原作が痛烈に描いている当時の差別問題も、現在のテレビアニメというメディアには盛り込みようがなかろう。
こういう懐古的オタッキー企画が通りやすい時代となり、スタッフが喜び勇んで作品に取り組んでいるのは分かる。そしてそれがそこそこに商売になるのも分かっている。
しかしどうかもう「009」をソッとしておいてもらいたい。原作マンガというメディアに封じ込め、ファンそれぞれの胸の中でのみ慈しんでもらいたい。わざわざアニメにしてお子様のオモチャにするなんざ、恥ずべき行為として厳に慎んでいただきたいのである。
原理主義ファンのワガママと取られようが、ただただそれだけを真心からお願いしたく思います。
ジーンシャフト
いやはやヒドイです。ここまでつまらない作品を作るには相当努力をしなくちゃならないだろうと思うほどつまりません。
制作のサテライトという会社は、「エスカフローネ」だとか「地球少女アルジュナ」なんかを手がけているプロダクションらしい。てことはゴミ専門の開発会社っすか。自分こそがアルジュナに浄化してもらえばいいのにって感じです。
本作は、完全な遺伝子管理によって人類社会が静謐を保っている(らしい)未来社会を描いている。人は遺伝子の持つスキルによって社会でのポジションが与えられ、また独自の合理性によって男女比が決められている(女性が社会成員の大半である)。某SF作家のノリみたいですな。
他にも古典的SF小説へのオマージュ描写が散りばめられていて、サブタイトルも全て有名SF小説のもじり(あるいはそのもの)となっている。
そういうオタッキーな作品作りもあって良いと思うが、しかし作品そのものがオタクのお遊びではもちろん困るのであり、出来上がったモノがかように陳腐であっては、もじられた小説たちが可哀想である。
そも本作独自のウリであるとか、楽しさ面白さであるとか、アクションアニメとしてのカタルシスのキモというのは何処にあるのか?どこにもないじゃないか。
オーバーテクノロジーを投じた巨大な人型兵器(設定と言い描写と言いちょっとイデオンぽい)が一応主人公メカであるが、これがキチンと動くのはラスト二話分のみ。なめとんのか!金返せ!(払ってないない)
このメカはOSがオーバーテクノロジー故にバグが山盛りで、その除去に手間がかかるというのは良いが、だからって「拡張機能を外して再起動」というセリフが飛び交うに至っては、制作者のシワのない脳味噌が想像できて一筋の涙が頬を伝う。
未来のOSに対する視聴者の想像力を喚起するのに、そのテクニカルタームは絶好の武器のはずである。それを使わないんだから、制作者は白痴か作家的鈍感かのどちらかなのだろう。「攻性防壁」という造語一つで架空の電脳社会を表現してしまった士郎正宗の遺伝子の垢でも飲むが良い。
キャラクターや世界描写も支離滅裂で、遺伝子管理によって完全に合理的運営をされているという未来社会が、何だか吹けば飛ぶよな薄っぺらい安普請のイメージ。子供の箱庭みたいというかオウムの国家ごっこみたいというか、とにかくセンスもワンダーもあったもんじゃないんである。
その成員たる未来人も、遺伝子スキルによる完全な社会ユニットというウリはどこへやら、10秒に一回ずつキレるわ、感情むき出しでポジションを争うわ、全員がウソばっかりついているわ、そのウソをまた全員が鵜呑みにするわ、タカビーだわ殺人鬼だわアヤナミだわと、そこらでお子様を一山いくらでまとめ買いしてきたような連中ばかり。渋谷センター街か、未来社会。
本作で評価できるのは、無責任に未完作を作り散らす昨今のアニメ界において、ストーリーが一応ちゃんと完結していることくらいだ。
想像力皆無の人間が、たとえ真似事であっても、「SFぽい」作品なんかには二度と手を出さないでもらいたい。人間分相応ってものがあるんですもの。
それにしても遺伝子スキルが未確定で「パターンホワイト」と呼ばれる主人公、あんたはFF5の「すっぴん」か?
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