No.37

このアニメはこう見やがれってんだ!(3)

 激辛アニメレビューの詰め合わせ、シリーズ化第3弾です。今回はいつにも増して小粒な作品が集まっちゃった気がします。しかしこの世にアニメがある限り、ニャントロ星人とタッグを組んで毒電波を発信し続けるのですわ。戦えニャントロ星人!負けんなあたし!


HAPPY☆LESSON(TV版)

 どこまで続くオタッキーハレム妄想作品コンボ!
 今度は
お母さん(!)でしかも女教師をズラッとはべらせてみたぞ!日替わりでフニフニ甘えさせてくれるぞ!巫女もメイドもアヤナミもいるぞ!当然喜久子姉さまだって出ているぞ!ついでに妹もメガネっ娘委員長もついてらい!かつてないお買い得感だぜ持ってけオタク〜!て感じの作品。5秒以上見ていると脳炎になって死ぬ。我が国はもう終わりニャ・・・。
 ちなみにEDの作画はお手軽だけど可愛らしくてまあ良いんじゃないスかね。


ちっちゃな雪使いシュガー

 「ハンドメイド・メイ」の木村真一郎監督作品で、往年のファンタジーアニメ「とんがり帽子のメモル」をぬるめにリメイクしたような印象の凡作である。
 要するにどこぞの街へと修行にやって来た妖精達と少女との交流を描いた、出てくるキャラは皆バカのつくウルトラ善人というお定まりのハートフルエンタテイメントだ。



 困っちゃうのは、
視聴するのに相当な精神力を要するほど退屈であるという点。ハチマキ巻いてタスキかけてナギナタ持って、「よ〜し、シュガー見ますわよッ!」などと気合いを入れなければ見続けられないのだ。
 あたしはいつもストレッチをしながらアニメビデオを見るのだが、シュガーを視聴中、シュガーのことを考えていたことは一瞬たりとて無かった。
いつも何か別のことを考えていた。つまり本作は、視聴者を画面に集中させたり、ハッと刮目させるようなシーンを用意したりという作業を全く怠っているのである。スカスカの軽石アニメなんである。
 創作ってそんなヌルイ作業じゃないと思うんだけどなあ。
 例えばセリフを一つ削るとしたら、そのセリフに泣いて謝る。泣いて謝りながら、でも毅然として切る。切ったら自分の心の一部も切り取られるので、作業の度に消耗を強いられる。そんな真剣勝負の連続が「創作」じゃないだろうか。しかるに「シュガー」の画面からは、視聴者との一期一会に命を張る作家の緊張感なんか全く伝わってこないのだ。そんなんじゃ寂しいよ。


 
 本作に文芸作品としての緊張感を備えさせるには以下のようにすればよろしい。



 (1)とにかく尺を縮める。30分ワク24本も使うような内容では根本的にない。半分程度の尺があれば十分すぎるだろう。
 (2)キャラのパフォーマンスにメリハリを付ける。怒るときも喜ぶときも悲しいときも、10倍大げさに振り付けなくちゃ。善人がニコニコ立ってるだけの絵ならアニメにする必要なんかないぞ。
 (3)同様に、ドラマにももっとメリハリを。サガとシュガーの絆が挫折し、また再生するのが眼目であるなら、そこをもっと突き詰めて描かなきゃ。キャラ達を抜き差しならない状況、もっと言えば破滅一歩手前にまで追い込んでみせなきゃドラマじゃないよ。でなければ視聴者をキャラ達に感情移入させるなどとんとおぼつくまい。
 同じ伝で、細かい演出ももっとシャープに、大げさにするべきだ。言いたいことを小さな声でゴニョゴニョ言ってるようなノリでは、そもそも表現者足り得ないぞ。
 第23話『ミューレンブルクの小さな奇跡』なんかが良い例で、せっかく「季節使い」というキャラが設定してあるのだから、冬でもないのにドサッとピンポイントに雪を降らせ、ピアノを受け止めるという分かりやすい演出にするべきであった。それでこそ「奇跡」じゃん。サガの思い出とも対応するしね。



 とまあ色々厳しく書きましたが、基本的にお子様にも安心して見せられる良心的アニメであることも確かだ。
 取り組むスタッフの善人さがそのまま表出したような、毒のない、優しく朗らかな雰囲気は、本作が誇って良い優れた資質である。最終回なんか、「ハンドメイド・メイ」と瓜二つの構成、演出であるにかかわらず、あたしは性懲りもなくボロボロ泣かされてしまいました。(老人)
 今をときめくコゲどんぼ氏による可愛らしいキャラデザや、水彩画然とした上品な美術、そしてしっとりした趣のある音楽も高ポイント。それだけに、全体のダランとしたテンションが残念な本作ではありました。木村氏の更なる精進とチャレンジとに期待したい。
わっほ〜!



 追記1・エンディングテーマは何気に70年代ニューミュージックの香りが漂う佳曲で、あたしはとても気に入りました。でも何で山本麻里亜が歌ってるんだろ。

 追記2・デジコこと真田アサミ氏が男の子の役を演じているが、最初全くそれと気付かなかったので感心させられました。なかなか器用じゃん、真田さん。


アベノ橋魔法☆商店街

 毎度個人的な好悪を申し上げて恐縮ですが、あたしはガイナックスという会社(の作品)が苦手である。また一方あかほりさとるという作家が大の苦手である。だからその両者が手を組めば、まあろくなモンが出来ないだろうなあと思っていましたら、案の定でした。


 
 本作はいかにもこの人たちらしいあざとさで塗り固められているが、画面の印象は何故か不思議と地味めで、いわゆる萌えキャラの仕込みがないのはよろしい。ギャグにも結構笑えるものが多く、見ていてちっとも楽しくないなんて作品ではないと思う。だがしかし、ではこんなもので楽しみたいかと自問すれば、全然そんなことない気がする。
 何というか、
オタクがふんぞり返って作った砂場遊びの山を見せられたような気分で、妙に薄ら寒い、侘びし〜い視聴後感に苛まれちゃったぞ。



 いい大人が寄ってたかって、しかも目のくらむような豪華スタッフですのに、どうしてこんなものしか作れないのだろう。あたくし思うに、(いささか書生じみた精神論に聞こえるかもしれないが)それはスタッフが「創作」に携わる意味というのをはき違えてるからじゃないだろうか。



 本作が満載しているのは、スタッフが視聴者のセンスを勝手に忖度して並べたマニアなネタとテイストだ。だから、ほらほら、オタッキーなネタでしょ、懐かしテイストでしょ、こんな絵が見たかったでしょ、とのべつに言われているような気分でウンザリさせられてしまう。送り手の傲岸で押し付けがましい心根が透けて見えてしまうからだ。
 そりゃあターゲットであるオタクたちは、おしなべて救いようのないパッパラであるかもしれない。でもバカにしすぎちゃイケナイよ。
それは自らを貶めることだよ。だって創作っていうのは、まずもって自分の胸の中にあるもののために行うものでしょう?自分の主張を、センスを世に問いたい!見る人を楽しませたり泣かせたりしたい!そういう強烈な欲求のために。
 エンタテイメントだから、受け手から目を背けて独りよがりの作品作りをするのはナンセンスだが、しかしそれにおもねったり、あるいは逆に見下したりなどは厳に慎むべきだと思う。作品が面白いかどうかなんてレベルではなく、まずはそういう基本的な気構えをスタッフに問いたいですわ。


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