No.45

このアニメはこう見やがれってんだ!(9)

 この電波館コーナーを始めた頃にはアニメレビューもそこそこタイムリーなネタを扱っていたように思うが、その後鮮度は落ちる一方で、今回なんかついに2年近く前の作品を取り上げることになっちゃった。
 しかるに!
 これはもう発信者たるニャントロ星人側も意識してそういう方針を取っているのであろう。多分な。
 そも永劫とも言える大宇宙の歴史の中で、アニメレビューのアップが1年や2年時期的適切を欠いたところでそれが何であろうか。
 いやむしろコーナーの鷹揚な運営体制が、それ自体一つの今日的テーマを突きつけていることに読者は気が付くべきである。つまり「見て評して次の日にはもう忘れてる」といった軽佻浮薄なネットレビュー文化への痛烈なアイロニーが、コーナーを通して読むと浮かび上がってくるような構造になっているんじゃないかって、お姉さんはそう思うなあ。いや多分だけど・・・。

ヴァンドレッド the second stage


 先に散々こき下ろした作品の続編・・・と言うよりは、完結せずに放置されていたスチャラカ作品をまたダラダラ始めてみましたって体(てい)の企画ですな。
 こういうだらしのない作品制作態勢、放映形態っていうのが最近当たり前になってるけど、作ってる方としても内心
これじゃイケナイと思ってるであろうことを切に願う。
 クリエイターのお仕事っていうのはいっつも命がけでしょ?「次がある」なんて考えず、見てくれる人との一期一会に全てを賭けるもんでしょ?それともそんな純情なこと言ってるヤツは業界では物笑いなのだろうか。誰か教えて欲しいです。



 さてこの「second stage」であるが、相も変わらぬヘッポコストーリーにフニャフニャキャラのスカスカパフォーマンスが散りばめられており、文芸的には見所皆無!
もうちょっとでも真心を込めて仕事をしてよ、もり監督。
 よってアニメ作品としての本質的な評価は不能であるから、せめて本作の大きなウリである兵器関係のフル3Dアニメートについてちょっと思うところを書いてみよう。



 「ヴァンドレッド」の3DCGはそのほぼ全てがライトウェーブ3Dによって制作されているらしく、このツールはプロフェッショナル用としては決してハイエンドというわけではないけれど、その定評あるモデリング機能によってまずまず不足無しの今風メカが作られています。
 おしなべてツルツルピカピカギラギラしたそれらメカの質感はあたしの好みではないが、はるか未来の人々が使う超宇宙兵器なんだから、安直に現代ミリタリ風味のウェザリングを施したりするよりも、むしろ作品世界を表現するためには正解だったと思う。



 しかるに静止画ではなくてアニメートされた画面を見てみると、これが全く迫力ないんだよなあ。
 とにかくスカスカキョトキョトフワフワした印象で、端的に言うと極々ちっちゃな
オモチャが動き回ってるとしか見えない。全く重量感や力感が無いのである。



 こうした3Dキャラの「軽さ」について、以前とあるクリエーター向けCG雑誌にて、「どうして多くの3Dキャラはせいぜい『マリオネット』にしか見えないのか?」というテキストを読んだことがある。
 内容としてはシンプルなもので、例えば単に肘を曲げるというアクション一つにしても、それが人体の内部機構によって自律的に行われるのではなく、
誰かの見えない手が3Dモデルを外から操っているようにしか見えないことが多い、それは何故なのかというような問題提起である。



 その答えとして、このテキストは「何故なら実際誰かの見えない手が3Dモデルを外から操っているから」だと結論しており、理屈として少々乱暴ではないかと思う向きもおありだろうが、3Dをかじったことのある人ならば何となく皮膚感覚として理解し易いんじゃないかと思う。



 例えばあたしのような素人がShadeで人体を歩かせようとするとき、片足の先を持ち上げてヒザと腿を曲げさせ、それを交互に繰り返したりするわけだが、これはまさに外からの力によって人体(ボーン)を操っているだけで、真に「人が歩く」という動作からは程遠い。
 つまり人が歩こうとするならば、持ち上げる足の筋肉が収縮するのみならず、もう一方の足をグッと踏ん張ったり、上体もそれに連れて体重移動を行ったりという非常に複雑な制御が同時になされるのであって、だからそれを3Dで上手く再現してやるのは並大抵の手間や難しさではない。そこでいきおい手足の先をつまんでマリオネットのように動かすことでお茶を濁している3Dが多くなり、上のテキスト記事はそれをある意味文学的表現で皮肉ったわけだ。



 「ヴァンドレッド」の3Dワークスは、残念ながらこのマリオネット風アニメのレベルに留まってると思う。そういう軽さやチープさをどうしても感じてしまうのだ。
 主役メカであるヴァンドレッドディータの肉弾シーンにしても、超合金(なんだろうなあ)のボディ同士が激突し、きしみ、粉砕したりされたりする力感がまるで伝わってこない。一応ロボットなんだから、
マシンの内側から迸ってくるもの凄いパワーってヤツをその絵から感じたいじゃないですか。



 よく「3Dアニメはどう作っても2Dのデフォルメの迫力は出せない」なんてハナから突き放した意見も聞かれるが、あたしはそれには与しない。表現者が新しい手法に挑戦しようとする気概はいつだって尊いと思うし、応援もしたいのです。
 しかし3Dを使うのであれば、その長所を最大限生かし、短所は目立たないように工夫して、3Dを使う「意味」が視聴者に実感できるよう力を尽くすべきだとも思う。「やっぱり2Dの方が迫力あるよな」なんて思われたのでは本末転倒じゃないですか。



 最近ではメカもののアニメならば3Dなんてむしろ当たり前に使われているし、GONZOはこの技法を比較的早くから採用していた所謂老舗なんだから、さすがにそろそろ「過渡期の表現手法なので舌足らずな面は大目に見て」なんて甘えを言うことも許されまい。
 手間やコストの面で色々苦労の多いだろうことは理解するけれど、そこは熱意でもって補って、「これはスゴイ!」と視聴者を唸らせるようなド迫力の3Dワークスを披露して欲しいです。

アクエリアンエイジ


 ブロッコリーの大人気カードゲームをアニメ化した・・・ていうか、その世界観を利用して一つオハナシをこしらえてみましたって感じの作品。あたしはカードゲームの内容を全く知らないので、多分そうなんじゃないかなと想像するだけだけど。



 本作は2002年の始めに地上波でオンエアされたんですが、その当初からすこぶる評判が悪く、ネット上でもボロカスに酷評されていたり、「つまらないからもう今週で見るのを止める」なんて見捨てられたりしていたのを何度も見たことがある。特に原作たるカードゲームのファンからは悪評ふんぷんで、そもカードゲームはアニメ化に馴染まない素材であり、
余計なものを作って素晴らしい原作に泥を塗るななどという突き放した意見も多く見られた。
 あたしはそうした評判を鵜呑みにすることは決してないが、へえそうなのという程度の先入観は自然持ってしまう。実際見た人の多くが口をきわめてつまらないと言っているのだから、まあ少なくとも大傑作ではないのだろうとぐらいは思っちゃうわけです。
 見なきゃいけない(何で)アニメのビデオが山積みになってる現状で、そうした作品の視聴がいきおい後回しになっちゃうのはこれ仕方のないことで、だから放映終了後1年半も経ってようやく見てみたんですが、正直ちょっと驚いた。少なくともあたしの目にはなかなか良心的な作品と映ったからだ。



 誤解されると困るのだが、本作が見てスゴク面白いエンタテイメントなのかと言えば全然そんなことはない。むしろ退屈な作品と言っても良かろう。後で改めて述べるが、作劇上の欠陥が色々と多くて、視聴者が作品世界に入り込むのをいちいち阻害している感がある。あたしも放映時にリアルタイムで視聴していたとしたら、少なくともワクワクしながら次週のオンエアを待ちわびるような気にはなれなかったろう。
 だから巷間目にする本作へのネガティブな意見、わけてもカードゲームファンたちの強烈なダメ出しはきっと彼らの素直な心情であり公平な評価なのであろうが、あたしが言いたいのは本作がアニメ作品として絶対的な価値を持っているなんてことではないのだ。
 あまり上手く言えないけど、作品そのものではなく、その向こうに見える作家の真心、少しでも面白いものを作りたい、作ろうという
意気に感じたってところでしょうか。このマインドさえあれば例え「シスプリ」だって「ワるきゅー」だって、もっと違う、何かしら人の心を打つ作品に出来るはずだと思う。きっとそうなのだ。



 肝心の内容はと言うと、遙かな古(いにしえ)より人目に触れない世界でワケの分からん戦いをグリグリ続けてきた幾つもの勢力があり、その戦いがふとしたことから顕在化していく様を描いたサスペンス風ファンタジーって感じですが、当事者である各勢力のメンバーではなく、彼らの争乱に巻き込まれた格好で、進路決定に直面しているロックシンガー志望の高校生とその恋人を主人公に設定している(正確には主人公らも勢力メンバーの予備軍であるが)。この工夫は悪くないと思う。
 ワケワカメな争いを繰り返す各勢力は、主人公らの若さ故の無能力やスタンスのあやふやさをせせら笑うが、では取るに足りないヤツらだと放って置いてくれるかと言えば決してそんなことはなく、彼らを都合の良いように利用するべくその生活へ様々に介入してくる。
 つまり本作中の異世界勢力というのは、
我々の「社会」のメタファーであろう。若者の未熟さを嗤いつつも、しかし我が身へ取り込もうとイヤらしい容喙を繰り返す、それは巨大なモンスターなのだ。



 この読み解きが仮に正しいとすると、主人公らにはそのモンスターに勝ち目があるであろうか。いいえ100パーセントありません。何故なら敵は、やがては彼らもその成員となる、つまりは未来の自身が生きる「世界」そのものだからだ。
 
しかしそれでも、と見ている方としては自然主人公らにエールを送りたくなる。それでもそんなもんに負けるなよと。負けてくれるなよと。



 そこへ視聴者を導こうとするのがアニメ「アクエリアンエイジ」の基本的な狙いであり全話を通しての構造であって、少なくともあたしはまんまとそんな気分にさせられたのだから、本作は巷間言われたようにその根本から「ダメ」なエンタテイメントとも言えないと思う。
 しかし見せ方に山ほど欠陥があるのもまた確かで、それは例えばやたらゾロゾロと数は出てくるけどろくに内面がフォローされてないのでテンから心情に入り込めないキャラ群であるとか、思わせぶりな能書きをほざくばっかりで一向にその思惑が分明にならない各勢力の描写(=まんま世界観と言っても良い)であるとか、僅かでもカードゲームをイメージさせようと配慮したのか短冊状のシンボルがただぶつかり合うだけというカタルシスもクソもない演出になっちゃった平板な戦闘シーンであるとか様々だけれど、分けても致命的なのは主人公響太クンとストーリー本体とのいびつな相関で、端的に言うと彼がドラマに積極的に関わろうとするのがいかにも遅すぎる。
 つまり響太クンがその理不尽な運命を嘆く様を(ドラマの)タメとするのは良いが、その心情が追い詰められ、張り詰めきって、いよいよ「クソ、ふざんけんなよやったろうじゃネェか!」とバネ戻るのがようやく最終回間近であるため、待ちぼうけ感があまりに強すぎてくたびれてしまう。これでは視聴者の多くが、冒頭書いたように、「何だ、ちっとも盛り上がらないな」と投げ出してしまったのも無理からぬことだろう。



 だから繰り返しになるけれど、「アクエリアンエイジ」に巷間寄せられたネガティブな評価が間違っているとはあたしも思わない。しかし書いたように、本作には陳腐なりに一貫したテーマやドラマがあり、またそれを尺の中で生真面目に完結させている。その折り目正しい製作態度には敬意を表したい。
 「創作」という本来命がけであるべきホーリーな作業をテンからバカにし、貶めるようなゴミクズ作品ばかりが跋扈する昨今、例えカードゲームのCMフィルムであっても、そこに何某か独自の主張を込め、独自の文芸を工夫しようとしたスタッフの誠意を思うとき、本作それ自体は市場の中で顧みられることがなかったとしても、その心意気はいつか報われることがあって欲しいと願って止みません。



 追記1・こういう地味かつクソ真面目なお仕事をするのはどこのアニメスタジオかしらと思ったら、これがまたしてもマッドハウスなのであった。腐りきった業界にあってここまで清純派を徹底されると、かえって何やらカマトトの結婚詐欺に遭ってるような不安感が・・・。
もしかしてあたし、騙されてる?

 追記2・にしてもサラスバティー・・・・性格似てるっちゅ〜か、あたし(ラスカル)本人かと思ったよ。


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