No.48

モンスター佃煮レビュー・6

 モンスタームービー佃煮レビューの第6弾ニャ。今回はゴジラ映画と、トンデモな韓国映画との抱き合わせレビューをお届けいたします。


怪獣大決戦ヤンガリー(インターナショナルバージョン)


 1999年度の韓国映画ですが、WOWOWでキッズ向け怪獣映画特集みたいなのをやっていて、そこでかかったので見てみました。
 ヤンガリーというのは韓国語で龍(ヤン)・怪獣(ガリー)という意味だそうで、有名な伝説上のモンスターらしい。過去に何度か映画化されている素材でもあるらしく、韓国の人にとってのゴジラみたいなものなのかもしれないな。



 新世紀に因んで、その人気怪獣の決定版的映画を撮ろうとしたのが本作らしい。
 監督はシム・ヒョンレ氏。何だかヘナヘナに空気の抜けてそうな名前だが、
韓国SF映画界(あるのかそんなの)のカリスマと呼ばれてるんだって。
 その彼が構想に5年間をかけ、最新SFX導入のためアメリカとの合作という形で完成させた「ヤンガリー」とは、果たしてどんなにスゴイ作品か。



 オハナシの舞台はアメリカ本土(らしい)。その片田舎の洞窟で、太古に宇宙人が遺したものらしい象形文字が発見される。そしてその文字は、2億年前に滅んだ最強の巨獣、ヤンガリーの復活を予言していたのだ!
 果たして洞窟からはヤンガリーの骨格化石が見つかるのだが、そこへ象形文字を遺した宇宙人がひょっこり戻ってきて、地球へ謎のビームを照射!それを浴びたヤンガリーの化石は見事復活して大暴れ!ってさすがはヒョンレさんが5年もかかって考えただけにものすごいストーリーです!心臓の弱い人やお年寄りは不条理ショックで死にます!もう460回くらい死んじゃう!集団で練炭焚いてる薄バカ共にも視聴を勧めてあげたいです。



 要するにこの宇宙人は2億年前にも地球に来訪していたのだが、その時は征服するべき人類がいなかったのでひとまず引き揚げたらしい。んで
「今度来るときにはヤンガリーぶちかましちゃるかんな!」と捨て台詞ならぬ捨て象形文字ですごんでいったワケですね。
 20分前のこともすぐ忘れるあたしからすると、2億年スパンの侵略計画(?)を生真面目に実行する宇宙人には呆れると言うより敬服します。
 相手を驚かそうと、寝ている人が目を覚ますまでベッドの横でジッと待ってるバド星人なんてもんじゃない辛抱強さ。広い宇宙にはエライ人がいるんだなあ。SFだなあ。



 さてヤンガリーは火を噴きながら都市(ニューヨーク?)に暴れ込むのですが、その眼前に人類の切り札部隊が立ちふさがる!
 これが何やら背中にロケットモーターをくくりつけた決死隊みたいな連中でして、ブンブン飛び回りつつ機関銃様の装備でヤンガリーをチクチク攻撃する。切り札と言うよりは、
プレステ2用ゲーム「蚊」みたいです。
 しかしこの蚊たちは健闘しまして、激戦の末にヤンガリーの額に埋め込まれていたクリスタルを破壊することに成功します。このクリスタルは宇宙人がヤンガリーを電波操縦するための受信デバイスだったのです。



 かくして正気(怪獣にそんなモンあるのか知らないが)を取り戻したヤンガリーは、宇宙人が新たに送り込んだ巨大なサソリ怪獣に敢然と立ち向かっていくのだった!
 居合わせた市民のエールが街に響き渡る!
立つんだヤンガリー!頑張れ、負けるなヤンガリー!
 ・・・って、ヤンガリーは正気に戻って良かったかもしれないが、見ているこっちは正気を保つのが大変だよ。なるほどスゴイ作品には違いないですわ。



 ヒョンレさんが原典を見ているのかどうかはともかく、本作は「怪獣大戦争」を軸に、「赤影・根来編」のアゴンだとか「帰マン」のステゴンだとかその他諸々のエッセンスをとにかく詰め込んでごった煮にしてみましたって印象だけど、まあ飢饉の真っ最中とかならば食べないこともないですよという程度のごった煮なのが困っちゃいますね。こんなものを平時にお店で出したら保健所から叱られそうです。



 肝心の特撮もダメダメだしなあ。
 もちろん世紀が変わってからの作品だから、使われているSFXはそこそこに新しい。ヤンガリーだってちゃんとCGで動きます。だけどCGワークらしい垢抜けた雰囲気は微塵もなく、何やらハリー・ハウゼンのダイナメーションとハンナ・バーベラのアニメを足して2で割って力いっぱい腐らせたような画面の印象。
 ヤンガリーがやたらとモリモリマッシブなスタイルなので、なおさらアメコミライクな、ていうかブサイクなスーパーマンが巨大化して暴れているようなキテレツなノリを感じます。カッコワリ〜の。どうも特撮に対するセンスを根本的に持ち合わせてない気がするなあ、ヒョンレ(もう呼び捨て)。


 
 まあ怪獣が二頭も出てきて宇宙人も出てきて戦闘機や戦闘ヘリも出てきてキ○ガイ博士も出てきて蚊も出てきてドカドカどつき合うわけだから、子供が見る分にはそこそこに豪華で楽しめる娯楽作と言えるかもしれないな。大人が見たら鼻から脳が出て死ぬけどさ。

ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS


 ゴジラシリーズとしては珍しく、前作(ゴジラ×メカゴジラ)の世界観やストーリーを完全に引き継いで作られた作品である。つまりは機龍シリーズの後編とも言うべき内容であるが、わざわざ前後編に分けてまで制作するような映画でないことは明らかであって、こんな埒もないものを年の瀬にいそいそと見に行ってしまうゴジラフリークのことを思うと一筋の涙が頬を伝う(自分だろ)。



 そもせっかく出てくるモスラであるが、わざわざ日本くんだりまで何しに来たんだか。
 ゴジラの骨(メカゴジラの素体となっている)をあるべきところへ返せとか何とか南洋遺骨収集団みたいなこと言うけど、人ンちが何処へお骨を収めようが電車の網棚にほったらかそうがお前の知ったことか。いやモスラが言うんじゃなくて小美人が言うんだけど。
 「メカゴジラが無ければゴジラ来襲に対処できない」と渋る日本政府に、「ゴジラがやって来たらモスラが命がけで防ぎます」などと在日米軍が聖人になったような有難いお言葉を宣うが、結果はゴジラにボコられたうえ放射火炎で丸焼きにされてるんだから世話はない。
まあ所詮は虫だしな。



 また肝心のゴジラに毎度意志というか生物としての自我が全く感じられないのも不満だな。
 彼は一体何なの?
メカゴジラに退治されるためだけに毎年ノコノコやってくる謎のオブジェかい?怪獣映画としてそれじゃアカンでしょうが。
 特に今回は機龍とのリターンマッチというせっかく用意されたシチュがあるのに、それを全く活かさないんだから理解に苦しむばかりだ。
 ゴジラにとって機龍は自分を敗北寸前にまで追い込んだ仇敵、宿敵なんだから、出くわした途端にグオーッ!って激昂して猛然と挑みかかるとか、そういう分かりやすい演出を当たり前にしなきゃダメダメじゃん。



 監督氏は映画パンフの中で「この作品でこれまでのゴジラ映画に終止符を打とうと決意した」とか何とか身の程知らずの能書きをほざき、のみならず
「ラストではゴジラにとんでもないことが起こります」などとブツものだから、ゴジラと機龍が交尾に及んでミニラに扮した宮沢元総理でも出産するのかと思いきや特段何にも起こりゃしない。お前のオツムのが「とんでもないことが起き」とるわい脳軟化監督!



 まあ機龍にフランケンシュタインとしてのペーソスがある程度感じられるドラマ構成、演出になっているのが手柄とは言えるかもしれないが、そもそんなことは前作の尺で描き切れて当然であり、つまりは90分に前後編の内容を合わせて詰め込むくらいでようやく一人前の密度の映画と言えよう。
 まあ何つうの、怪獣がどうした特撮がどうしたとかってレベル以前に、まともな活劇の書ける脚本家っていうのを一から育てるところから始めないとダメなんじゃないかな、東宝。
 毎度オツムの弱い監督氏がチョコチョコっとデッチ上げた、同人マンガより陳腐な脚本で客を呼ぼうだ沸かせようだ、映画作りってそんな甘っちょろいもんで良いはずがないと思うけどなあ。まあ最初から併映のハムちゃん頼みと開き直ってるのかもしんないけどさ、ゴジラ映画。



追記・成虫モスラの造形は平成シリーズの中ではイチバン良かったと思います。小美人は最悪だったけど。

追記2・カメーバ登場なんかはまあファンサービスとして評価しても良いけれど、出すなら出すでキチンと演出してやんなさい。
 例えばOPで東京湾から猛々しく出現させ、しかし自衛隊の一斉射で呆気なく頓死。政府は怪獣撃滅に意気上がるが、検死してみると致命傷はゴジラに負わされた裂傷だったことが分かる、とかね。単にモスラが飛来するだけの散漫な導入部より、よっぽどドラマに躍動感が出るでしょうが。ちっとは頭使いなさいな頭をさ。


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