番外記事

少年よ、オツムを磨け!

 常々「病弱の国から病弱を広めに来た」、「セミよりすぐ死ぬ」、「性格がゲロ悪くなった美紗緒ちゃん」などと揶揄されてきたあたしであるが、久々に大きく体調を崩して長期床に臥せっている間に、メールが大便秘状態になっちゃって往生しました。
 ボックスを開けた途端、メールの束がサーバからまさにドサァと落ちてくる感じで、またその半分くらいがワームによる自動発信メールだったりするから重いの重くないの。



 でまあ正規の用件メールを選り分けて読んだんだけど、中にあたしのサイトに対するお叱りのメールが2件入っていて「おやっ」と思った。
 いや別に抗議メールが珍しいワケじゃないです。そんなものは山ほど戴いています(エバって言うなよ)。
 まあ何しろあたしのサイトでは我ながら目の潰れそうな毒舌レビューを書き散らしているから、御贔屓の作品をボロカスに言われて脳が沸騰したような抗議メールを送り付けてくる御仁は後を絶たないわけです。書いたテキストであんだけ人を怒らせることが出来るなんざ、あたしの文才もまんざら捨てたもんじゃないやね。



 だからちょっとネットを離れていた間に抗議メールがほんの2通ばかし溜まったとしても何ら驚くじゃないのだが、あたしが意外だったのは、それがどちらも「ザ・ビッグオー」に関するメールだったことだ。
 なるほどこの作品はそれなりの人気作であって、過去に何度も、激昂して我を忘れたファンからのメールをもらったことがある。しかしレビューを書いたのは大昔だし、比較的短期間に同じ作品への抗議が重なるのも珍しい。
 つらつら考えてみるに、どうも現在(2003年3月)「ザ・ビッグオー」の第2シーズンがオンエアされているからではないかと思い当たった。
 新作放映で古いファンもまたビッグオーを思い出すわけだし、そこで久しぶりにネットで本作を検索したりしてあたしの毒舌レビューに偶然出くわし、「なにを、この!」となるわけだ。いや想像ですけどさ。



 あたしはこうしたお怒りメールにも、出来る限り丁重に返信を打つことを心がけてきた。口はばったいが、そうすることが半ば義務だとも考えていた。
 あたしは公の場所で色んな作品をあしざまに評しているのであり、一方でそれらの作品を心から愛している人が憤懣をあたしにぶつけるのは当然だと思うからだ。
 あたしは自分の書いたものに強い誇りと自信、そして愛着を持っているから、半端な抗議には逆に言葉のタコ殴りで返すし、明らかな誤謬の指摘には謝罪&御礼で返す。つまり抗議に対応することは、あたしのテキストそのもの、あるいはあたしの筆力を補強、補完してくれることにもなるわけだ・・・・とこれまでは思っていた。



 しかし今回のメールに目を通してみて、ウンザリというかゲッソリというか、とにかくやり切れないような心境となってしまった。毎度口さがなくて恐縮だが、レベルが低すぎてまともに相手をする気が起こらないのだ。考えてみれば抗議メールには、過去にいただいたものにも、こうした低級なものが混じっていることが多かった。
 などと書くと、「ではどんなメールなら相手になって下さるんですかい?テメェは何様だ?」という反応が返ってくるのは自明だし、反論もせずに逃げ出したなどと思われるのもまた業腹。
 そこでこの機会に、対応する気にならない抗議メールのパターンを、何故そう思うのかという理由と一緒に発表させていただくことにした。
 無論今後も抗議メールに対する対応は誠実に行うし、単に送ることで相手の溜飲が下がるならば、中身のないスカ抗議でも甘んじて受ける。だけど出来るならば、以下に記すようなしょうむないメールの送付はなるべく控えていただけませんか。ダメでしょうか。ダメかもなあ。相手が相手だけにむしろ逆効果満点かなあ。・・・などとボヤキながらの健気な試みが本稿である。



 
(ダメメールのパターン1)
 これが一番多いのだが、ただもうシンプルに怒り狂っているだけのメール。今回のメール2通もそのパターンだった。要するに、「オレの大事な作品をけなしやがって!」という怒気の剛球一直線みたいなヤツです。
 何が対応に困ると言って、相手はとにかく憎い悔しい腹立たしいと吠え猛っているだけなので、取りあえず何も言い返せないのである。
 そしてまたこういう手合いに限って、あたしに謝罪だの自省だのを求めたがりがちなのでなお始末に負えない。その作品を自分がいかに愛しているかをくだくだしく述べまくったあげく、「どうですか、もっと良く作品を見て批評するようにしてください」などと宣うのだから泣けてきます。
 あたしの論じたことに内部矛盾があるだとか、事実関係を明らかに誤って記している(作品制作年次やスタッフを誤記するなど)とかいう指摘ならば、いくらでも反論したり謝ったりする用意がある。しかし先方の個人的な「愛」をさんざ主張された上で、「同意せい!」と言われても出来るわけがない。あたしは自分がつまらないと思ったものをつまらないと書いただけだからだ。何故そんなことが分からないのか。
 逆にあたしは、レビューを書くときに、個人的なセンスでの好悪と、演出上の問題点を理屈で述べる部分(とは言えその論拠となるファクターはまた個人的センスに依ったりするから面倒ですがね)とはキッチリと分けている。しかるにこういうダメメールをよこす人の頭の中では、それらはゴッチャになっている。
 だからあたしを理屈でへこまそうという気は更々無く、送り付けてくるのは、「オレがこんなに感動した作品の演出に瑕疵のあろう筈がない。それが分からないお前はバカだ」てな感じの寒い抗議になってしまうのだ。勘弁してよ。


 
 
(ダメメールのパターン2)
 あたしがサイトで集中的に苛めている(ように見える)作家さんがいるが、彼らのファナチックなファンが、「○○さんを侮辱するな!」というようなメールを送り付けてくることもままある。これがまた困る。
 端的に言うと、小中千昭氏(まさにビッグオーのシリーズ構成作家さんだ)だとか富野由悠季氏なんかの少々アクの強い作家さんのファンにこの手合いが多いのだが、彼らがあたしをして曰く、「あんたは作品の批評をしているのではなく、単に嫌いな作家の悪口を書いているだけだ」ってんだけど、頼むから寝言は寝て言ってくれ。
 そりゃああたしはイライザだの音羽さんだの武田観柳斎だのと言われていて、性格はあまり良くないかもしれない。いや最悪だと吐き捨てる人もいる。でもそんなあたしでも、会ったこともない人間を、作品と全く切り離して一方的に嫌悪したり批判したりなんぞ出来るわけないじゃないか。
 ハッキリ言っておくが、あたしが批評対象の中心としているのは常に作品そのものだ。人間だから作家に対する好悪というものは当然あるが、視聴に当たってはそれを可能な限りニュートラルに戻すよう心がける。何某かのバイアスがかかってるとすれば、それは好きな作品を酷評されて目のくらんでいるオタたちのオツムの方だ。
 嫌いな作家が作っても面白いものは面白いし、好きな作家の作品でも駄作は駄作だ。いつもそう書いている。大嫌いな「ベルセルク」のスタッフが手がけた「フィギュア17」はベタ褒めしたし、逆に大好きな「プリサミ(TV版)」のシリーズ構成をやった黒田氏や、「十兵衛ちゃん」の大地氏も、駄作をものした時にはちゃんとボロカスに書いてるじゃないか。
 「ニュータイプはボクが実際に理想とする人間像だ。それを創造した富野さんを安直に汚すな」と書いてきた某氏。あたしのテキストをキチンと読めば、あたしが富野氏のファンだということはすぐ分かるはずだ。しかしそのことと、氏の作品の出来不出来、欠陥、難点を指摘できないというのは全く別のことだ。気に入りの料理屋だからといって、出てきた料理をまるで点検せず、味わいもせずに褒めちぎるのか?それはむしろその料理を貶めることではないか。
 要するにこういうメールを寄越す人というのは、あたしの批評姿勢が怪しからんなどとことさらに言い立てておきながら、その実そんなことにはハナから興味がないのだろう。
 たまさか自分の御贔屓作品がクソミソに言われているのを目に留め、その作品に肩入れする余り、我が身の自尊心までが不当に損なわれたように感じ、取りあえず泣いて怒って噛み付いてみせているだけなのだ。お子様なのである。
 この手合いのパターンとして、「○○さんの新作が放映中ですが、アンタはどうせまたけなすのでしょう?」なんてイヤミとも牽制とも取れる捨て台詞でメールを締めくくってるのがよくあるんだけど、一体そんなに提灯記事ばかりが読みたいのか?茶坊主に囲まれた白痴の王様でいたいのか?そんなこったから制作側にナメられるのであり、あたしに「ブタ」なんて揶揄されちゃうんだぜ。



 
(ダメメールのパターン3)
 現実に照らしてリアルかどうかなどと、まるで無意味な議論を吹っ掛けてくるメール。これも困ります。
 あたしは3Dサイトの方でリアルロボットの批評を多くやっているから、その中でミリタリ描写を評したときなどにこのパターンのものが多く来る。一番多かったのは「ダグラム」に関してだ。
 あたしはあの作品におけるCBアーマー(ロボット兵器)の描写に整合性がないことを難じてみせた。具体的には、「(CBアーマーは)ある時はゲロ強いスーパーロボットなのに、またある時は歩兵にすら容易く返り討ちにあってしまう。イメージが一貫していない」と指摘したわけだ。
 それに対し、「戦車だって、歩兵の奇襲や肉弾攻撃によって撃破されることはしばしばあった。そんなことも知らないのですか」などというメールを何通かいただいたのだが、これがナンセンスな指摘であることは自明であろう。
 抗議内容に対し、「前大戦中ならいざ知らず、現代MBTだって歩兵が撃破するのは至難と言われているのに、何で未来の超兵器であるCBアーマーがそれ以下の体たらくなのか?」と同レベルで反論することも出来る。しかしこの抗議がナンセンスなのは、無論そんな理由からではない。
 「ダグラム」はエンタテイメントでありフィクションだ。だからその世界での描写が現実的かなどという議論には本質的に意味がない。
 そもそも巨大ロボット兵器なんてものが、現実的にはナンセンスなのだ。それが「ダグラム「や「ガンダム」で実用化されているのは、「そういう世界なのだ」と設定されているからに他ならない。
 そしてあれらの世界は、「マイクロ核融合炉」だの「ミノフスキー粒子」だの「オーラ力」だの「OTマクロス」だのと呼び名は色々あるが、いずれも魔法によって支えられ、運営されている。魔法(世界法則)だから、それをどんな風に設定しようが作家の裁量次第なのだが、しかし一度設定したルールを甚だしく逸脱することはタブーだ。
 例えば「桃太郎」を読んで、「桃から人間が生まれるはずがない」とか「犬とかサルが喋るのは科学的にあり得ない」などとツッコミを入れる人はいないだろう。そういうオハナシであり世界だからである。
 しかし出てくる犬がブルドックであったり、サルがマシンガンで鬼と戦ったりすれば、誰でも違和感を覚えるはずだ。物語世界は、その内部においては矛盾が無く閉じていなければならないのである。
 あたしが書いたのはそういうことであって、だから「科学」だとか「軍事」などとは別次元の話、文芸作業についての批評であり指摘なのだ。そもそも抗議が成立しないことを分かってよ。



 
(ダメメールのパターン4)
 これは「ヘルシング」でとても多かったのだが、「原作を読んでからけなせ!」というヤツ(そもアニメ「ヘルシング」には比較的好意的な批評をしたのに)。
 このパターンには困ると言うより、その馬鹿々しさに泣けてくる。眠たいこと言うとったらアカンで全く。
 無論「原作マンガの方は面白いから是非一読してみてくれ」とか、「原作ではここはこういう演出になっている。興味があったら比較してみては?」などという真っ当で御丁寧な推奨も多くいただいたし、そういうメールには謝意を述べたのだが、イヤんなっちゃうのは、「原作も読んでないのに(アニメ「ヘルシング」の)批判をすんな!」というクルクルパーなヤツだ。いい加減自分で愚かしさに気が付かないのかなあ。
 あたしは作品を批評するとき、それがアニメだろうが小説だろうが映画だろうが、常にその時見たものを唯一無二の対象としている。
 つまり例えばアニメ作品に原作マンガがあろうと原作小説があろうと、それらは互いに独立した別個のものと考える。そんなことは当然であり、作品に対する礼儀だとも思うのだ。
 なるほど原作マンガなり小説なりに目を通せば、アニメや映画を見ただけでは分からない小さな設定に気が付いたり、キャラクター心理の機微がより良く理解できたりということはあるだろう。
 しかし原作を読まなければアニメも正しく理解できないというのでは、アニメはそれ独自では作品として不完全、欠陥商品ということになってしまう。ならば責めを負うべきは欠陥を欠陥だと指摘したあたしではなく、そんなものを市場に出した制作会社の姿勢の方でしょう。
 あるいは製作会社はアニメが欠陥商品であると承知で、しかし原作のファンに対するサービスフィルムとして作っただけであり、見るファンの方もそれは了解して楽しんでいるのかもしれない。ええそういう商売もあって良いと思いますよ。だけどそれなら、一見(いちげん)の視聴者にはアニメ版は理解できず、楽しめもしないので、事前に原作を読んで予習してほしいとアナウンスしてくれ。でなきゃフェアじゃないでしょうが。詐欺でしょうが。
 そも「ヘルシングの原作も読まずにアニメ批判をすんな!」と御立腹の方々は、言ってることの自己矛盾に気が付かないのか?
 「原作は非常に優れている」と主張してくるのだから、恐らく彼らにとってもアニメ版ヘルシングは満足のいく出来ではない、むしろ不満の募る内容だったのだろう。そのアニメ版を叩いてやったあたしに何故噛み付く?
 想像するに、こうしたメールを送ってくる連中というのは、「ヘルシング」という作品本体のことは既にどうでも良くなっているのだろう。彼らがどの時点でヘルシングのファンになったのかは知らないが、もはや彼らにとって大切なのは作品ではなく、「その作品を好きになった自分」なのである。
 だからパターン2と同様、アニメ「ヘルシング」に対するあたしの批評内容には本質的に触れず、ただ「ヘルシングと名の付くものを酷評された(してないけどさ)」という事実のみをことさらに言い立て、憤慨してみせる。貶められたのは作品ではなく、彼らの自尊心だからである。
 たとえファンとは言え、こんな奴原に見込まれたのではむしろ作品が可哀想だぞ。



 さてダメな抗議のパターンを大まかに4つに分けてみましたが、毎度口さがないことをご辛抱いただければ、分かりやすく書けていると思います。
 前述の通り、あたしは抗議メールを送ってこないでと言っているのではない。どうぞ送って下さい。しかし上で述べたようなパターンの抗議は対応のしようがないし、しても空しいのでなるべく避けて欲しいのである。
 ではどんなメールなら良いのかというと、これも繰り返しになるが、明らかな事実関係の誤記を指摘して下さったり、あたしの評を理詰めに論破してくれるようなものなら大歓迎だ。



 要するに「抗議をするのであればもっと頭を使いなさいよ!」ということであって、などと書くとまた「自分もバカのくせに威張りくさっている」と悪評紛々であろうが、それが正直な心持ちなんだから仕方がない。
 そも自分の大切な作品を正面切って批判されたら、それにロジカルに立ち向かう準備くらいはしておきなさいよ。作品を愛しているなら、子供みたいにただ泣いて怒っていないで、この小生意気な評者を理屈でこてんぱんにしてみなさい!それでこそファンでしょうが!



 あたしはあらゆる文芸作品、わけてもアニメというエンタテイメントを心底愛している。だから批評は真剣にするし、褒めるにしても批判するにしても精一杯強い言葉で書く。あたしにとってはそれこそが誠意であり、何ら恥とすることはないのだが、しかしそれでもその奥に悪意と傲慢さを感じ取るのならば、それを正攻法でひねり潰すべくもう少し頭を絞って下さいな。



文責・ラスカルにしお 2003年3月


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