No.106

このアニメはこう見やがれってんだ!(64)

 

ミス・モノクローム -The Animation-(1〜3期)

 
 毎度職人芸のように味も歯ごたえもない真空作品ばかり作り続ける岩崎良明監督だが、2015年までの時点に於いて、モノクロームはその岩崎氏の最高傑作ではないかと思っているのだがどうだろうか。


 
本作の美点は、先に中の人ありきなゲスい企画物であることを隠さず、むしろそれに最大限乗っかって、ノリ良く作っていることに尽きよう。


 中の人=ほっちゃんこと堀江由衣氏というと、往年の小林夕岐子氏のような、もっと言えば、まことに失礼ながらチブル星人の女アンドロイドのような、セルロイドっぽい、無機質なルックスがまず思い浮かぶ。
 演者としても、キャリアに似ぬ不器用さ、生硬さがいつまでもあり、てかぶっちゃけ何を演っても棒なのだが、それを最大限逆手に取って、
棒読みのアンドロイドっぽいアクトレスなんだから棒読みのアンドロイド役を演ってもらえばイイんじゃね?って、そもそもこの企画がほっちゃん発だというのが本当なのかは置くとして、実に鋭い逆転の発想だと思う。
 それはマルチの昔からそうだろうという向きもあろうが、特段ロボットらしい演技も付けられず、「愛されるべき健気な奴隷」の記号でしかなかったマルチに対し、見た目も中身も明らかに人間ではない、動くマネキンによるスラップスティックを演じるモノクロームとは、表現しようとするモノが最初から異なっている。
 マルチは誰が演じてもそれぞれ可愛いマルチになるであろうが、モノクロームをほっちゃん以外が演じては、企画そのものがスポイルされちまうもんな。


 第一期の最終話がなかなか良くて、あたしは不覚にも感動しちゃったんだけど、それだけに二期以降の散漫ぶり、蛇足感がハンパないのは本当に残念だ。
 ゲスの極み幼女マナちゃんは相変わらずカワイイし、やよいたんのキャラもベタながら悪くはなかったんですけどね。
 
 
パンティ&ストッキングwithガーターベルト

 ガイナのカートゥーンごっこみたいな作品だが、カートゥーンそのものというより、スーパーミルクチャン的なヤツを作りたかったのかなという印象。で、首尾良く作れたのかと言えばクッソ碌でもないんだよなあコレが。

 
 
そもキモとなるお下劣ギャグのオンパレードが、陰キャのDT小僧が無理して言ってます感丸出しで、バラエティのローション階段なみにスベりまくっている。
 アテクシたちはインテリだけど、こんなクダけたこともやれば出来ますのよという作り手のイヤらしい心根がスケスケでは、見せられる方は鼻白むよりないじゃないか。
 作画はさすがの高レベルだが、ずっと同じテンションでメリハリを欠き、見にくいこと夥しいしね。


 ラストだけ取って付けたようなマジ展開になるのも、いかにも和〜なジメっぽさと貧乏くささ。ギャグならも少しカラッと作れねえのかよマジ辛気臭ェ。 
 
グレンラガンもそうだけれど、ガイナのやることは毎度子供騙しって形容がピッタリだァねえ。
 
 

四畳半神話大系


 ごく近傍の平行宇宙をザッピングして見せるオムニバス小品。
 そのアイデア自体はありふれたモノだが、とても丁寧に構成してあって、尺の中でキチンとまとまっていて、しかもそこそこ面白い。さすがはマッドハウスのお仕事だとまずは讃えたくなる。
 だけど見ていて今ひとつ入り込めないというか、このアニメが好きだ!ファンになっちゃったぞ!という熱量が上がってこないのは 少々乱暴な言い方になるかもだが、本作が小説原作ということと無関係ではないと思う。
 というのも、主人公の独話がのべつに流れているという造りになっていて、それは全てテキストに置き換え可能なのだから、これなら小説で読めば良いじゃないかという気分になってしまうからだ。


 もちろんスタッフだってそんなことは分かっていて、分かってはいても原作のテイストを損ねないようにとの配慮からそう演出せざるを得ないということもあるのだろうが、せっかくアニメとして作るのだから、あえて独白を全く用いない等の冒険をしても良かったのではないだろうか。


 本作によらず一人称小説原作アニメってのは、主人公が自らの心情を喋くりすぎて視聴者の感情移入を阻害しちゃうという弊に陥りがちなわけで、そこをどう料理するのかはやはり大切だと思う。あたしなんかはハルヒのキョンだってクッソ五月蠅くてウンザリだもんな。

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