No.25
アイアンジャイアント
アメリカの新世代作家によるアニメーションエンタテイメントで、そのハートフルな内容から大きな話題を呼んだ作品である。ロードショーで見ることが出来なかったのでずっと気にかけていたのだが、ようやくWOWOWで視聴することが出来た。
「スゲェ泣いた」などというよさげな評判を散々聞かされていたので大変期待をして鑑賞したのだが、感想はと言うと、
「う〜ん、君が感動的だと言うならねェ・・・」
って程度のモノで、どうもあたし的にはピンとこなかった。
本作は、宇宙から落下してきた巨大な戦闘用ロボットと、彼を守ろうとする少年の心の交流を描いていて、後半はお定まりの軍隊による介入だとかそれによる悲劇的な離別劇なんかがある。
要するに本作は、「醜いけれども本当は心優しいフランケンシュタインと少女との友情」であるとか、「人間好きで少年を命の危機から救ったりするが、誤解の果てに猟師から射殺されてしまう灰色グマ」などという手垢の付いたエンタテイメントパターンの亜流であって、であるならば、クリエーターとしては、その見せ方において何か斬新な試みを用意して類型化を回避しているのではないかと期待していたのだが、どうもこれといった工夫が見受けられないのだ。
地球の雑誌で見聞したスーパーマンに憧れるロボットと、それに対して
「じゃあスーパーマンになればいい。自分が願う者になればいいんだ!」
と応えた少年の広々とした精神が、本作独自の工夫であり大きな魅力であるとは言える。しかし我々が幼少時から百万べん見せられてきた同種のエンタテイメントのくびきを解き放つには、つまり「面白うて、やがて哀しき・・・」というペーソス以上の何かへと本作を羽ばたかせるにはちと弱いなあとも思う。
ビジュアルその他、入れ物については申し分ないだけに、ちょっと残念な後味の本作ではあった。惜しいよな、アイアンジャイアント。
追記1・それにしても本作には、「アニメを作りたい!」、「アニメで何かを言いたい!」という若いクリエイターたちの熱意が十分に感じられるのは確かだ。こういう瑞々しい情熱をキチンと掬い上げるハリウッドの懐の深さにも頭が下がる。
日本のアニメエンタテイメントは確かに世界最高のものだが、彼ら諸外国の作家たちの息づかいをすぐ後ろに聞く危機感がなければ、凋落などアッと言う間であろうことを予告しておく。
追記2・クライマックスで、コンバットモードに変形してボカスカ撃ちまくるアイアンジャイアントはちょっとカッコイイです。
「アメリカ人は(アニメにおいて)変形しないものはロボットだと思っていない」という揶揄に近いカルチャー観を某誌で読んだことがあるが、人情大作であろうと変形だけはキッチリ押さえてあるところを見ればなるほどと思わされる。
これで主人公の少年が「ファイナルフュージョン!」とか言ってジャイアントに乗り込んだり、ロケットパンチがドリルスピンして戦車を貫通したり、宇宙から「ジャイアントウィング」なんつー飛行用オプションパーツが飛来して合体したりすればもっとカッコイイのになあ。誰も見ないか。
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