No.5

魔法使いTai!

 録りためておいたWOWOW版の「魔法使いTai!」をようやく見終わった。いやー、退屈!魔法使い退屈!あんまりつまらないんで、見終わるのに一ヶ月もかかっちゃったぞ。


 本作は売れっ子ライター小中千昭氏が脚本を手がけている話題作なのだが、どうもあたし的には、この人の作品って
ロクなモノがない。「ウルトラマンティガ」のシリーズ構成手腕が非常に高く評価されているが、あたしは未見であって、知る限り、まあ少しは良かったなというのが「lain」の第1話だけというのでは寂しすぎます。


 さてこの「魔法使いTai!」、具体的にどんな作品か。


 とある高校に「魔法」というものをマジメに研究、実践しようというクラブがあり、登場人物はそこに参集した学生たちである。年頃の男女が集って、密室で呪文を唱えたり恋占いに興じたりホウキにまたがってパンチラを披露したりするのですから、そこにウフフなドラマが発生しないはずがありません。事実発生します。まあその道具立ては良しとしましょう。


 しかし結果出来上がったモノが、嬉し恥ずかしチョイ胸キュンな青春グラフィティーかというとそうではなく、
毎度お馴染みチョイ生臭い小中節のドロドロドラマなのだ。


 ・・・そう、「生臭さ」・・・キャラから発生する、若さの澱のような臭い。そして背景世界の奇妙な「無臭感覚」・・・この
「臭い」のギャップこそが、小中ワールドのキーワードではないだろうか。


 「Tai!」は端的に言って、
欲求不満の少年少女らが織りなす「性のドラマ」である。キャラクターたちは異性とのフィジカルな接触を求め、それと自らの純情との齟齬に悩み、結局思いを遂げられずに過ぎて行く日常にほぞを噛む。主人公の沙絵からして、姉の情事を想像し、そこに自らの欲求の亢進を発見してうろたえたりする。

 こうした展開は、深夜枠とはいえ、テレビアニメで女子高生の自慰シーンを実現してしまった(於・lain)小中氏の本領発揮と言えば言えるかもしれない。だがしかし、あたしには分からないのだ。視聴者は、本当にそんなモノを見たいだろうか?特に、小中氏の薄っぺらい世界構築の枠組み内で。

 確かに彼が描く少女像にはある種の陰影があり、それは恐らく彼独自のトラウマに由来するのだろう。だからあの独特の、生理臭を思わせる「生臭さ」の演出は、彼が作家として自覚して良い才能である。しかし悲しいかな、彼の描く背景世界にはいささかの立体感もない。それはまさにホリゾントでしかなく、その無味乾燥な世界の中にあっては、キャラクターの「臭み」だけが際立ってしまう。

 作品のこうした欠点は、恐らく彼が現実世界に立脚した人間性を育んでおらず、あたしがよく言う「マンガとアニメのみにしか範を取れない世代のママゴト作家」だからであろう。

 つまり「ふしだらなキャラとストーリー」を扱おうとするのはいいが、「人とは淫らな生き物である」ことを理解した上で、それを咀嚼し、ドラマとして再構築できる「大人の余裕」がないのである。まさに「さかりのついた中学生がペンを持っただけ」状態!などと作家性の底を見透かされてしまうようでは、見ている方が白けてしまうのも仕方ないよね。書けないのなら書かない、これが彼に求められるべき分別であろう。

 さてそれにしても、彼ら新世代作家たちの、一種異常とも言うべき創作ペースはどうだろう。小中氏が「ウルトラマンティガ」で良い仕事をしたのは恐らく事実なのだろうが、一人の人間が有している引き出しなんて、もとよりそういくつもあるはずがなく、この乱作ぶりが、彼らの創作物のレベル低下の一因であることは容易に想像が付く。

 これほどの粗製濫造を続けなければ食べていけないのか、それとも業界にそもそも人材がいないのか、門外漢のあたしには問題点の所在を知る由もないが、長いスパンで見て、こういった現状が業界全体の衰退に繋がるのは自明であろう。

 ところで、もしファンの人とかいたらお聞きしたいのですが、何故「Tai!」なんですか?あれはどういう記号っスか?


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